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興福寺北円堂の運慶仏(東京国立博物館特別展) ~OCT,2025~

  • 執筆者の写真: 羽場 広樹
    羽場 広樹
  • 10月8日
  • 読了時間: 4分

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興福寺はそもそも藤原氏の氏寺であり、奈良時代から平安時代初期にかけて百年余りを要し造られた大伽藍でした。中でも北円堂は一番最初の建造物であり、奈良時代初期(養老年間)に藤原不比等の慰霊の為に建てられましたが、意外にも天平期の法隆寺夢殿よりも古い八角堂です。 


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中には“弥勒如来”がご本尊として置かれました。弥勒は最高の悟りを得た如来になる前の菩薩の段階に在りますが、数ある菩薩の中で唯一如来になる事を約束されており、56億7千万年後弥勒如来として衆生を救うべく降臨されます。数字は比喩的なもので長い年月を表しているとの解釈も有りますが、地球が出来て46億年、太陽系の寿命が100億年と推定される事から、ひょっとしたら滅びゆく地球から人類を救う救世主なのかもとの解釈もできそうです。弥勒菩薩といえば広隆寺の半跏像ですがこちらは7世紀初頭のもので飛鳥像特有の華奢な面持ちであり、仏像は奈良・平安期を経てふっくらとした外観に変わっていきます。

 








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今の北円堂は三代目であり、永承四年(1049年)火災で焼失後寛治六年(1092年)に再建された後、治承四年(1180年)の平重衡による南都焼討により東大寺や他の興福寺仏閣と共に再度焼失しました。この再建に取り組んだ際、仏像制作を担当したのが運慶とその一門でした。 




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平重衡は清盛の五男で、平家一門の中では珍しく武勇に優れ、和歌に秀でた文化人でもありました。南都焼討の前年に清盛は後白河法皇を幽閉し平家による政治の占有支配を図りましたが、年が明けて以仁王、木曾義仲、そして源頼朝と源氏の挙兵が相次ぎ不穏な政治情勢になりました。清盛は旧勢力(院・朝廷・公家・寺社勢力)と源氏と戦う二面作戦の中で、福原遷都を試みるも断念し、東大寺・興福寺との戦いの中で重衡に南都焼討を命じましたが、大仏を始め奈良仏教の貴重な建造物や仏像他が失われたのは実に残念な事でした。これと明治維新後の廃仏毀釈は日本の仏教美術にとって大惨事でした。

 








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運慶チームは鎌倉幕府への政権移行に伴い伊豆に移り、仏像制作を多く手掛けましたが伊豆願成就院の国宝阿弥陀如来像を筆頭に多くの仏像が残ってます。奈良仏師のプロ集団だった慶派にとっては多くの仏像制作機会に恵まれた時代であり、引く手数多だったでしょう。

















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再び奈良に戻り北円堂の仕事に携わったのが承元二年(1208年)から建暦二年(1212年)の頃のようです。9体の仏像を制作しましたが、現在確認されているものが7体有り、今回初めて国立博物館に勢揃いしました。経緯は不明ですが四天王像は現在中金堂に置かれており、行方不明の二体は弥勒如来の脇侍仏で、北円堂には現在3体(弥勒如来像、無著・世親上人像)のみが置かれています。



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鎌倉時代初頭の関白を務めた近衛家実の日記「猪熊関白記」により、運慶一門により北円堂の諸仏が制作された事が書かれています。興福寺別当は代々、一乗院と大乗院の二つの塔頭門跡から選ばれましたが、何れも摂関家の子弟が務めました。大和国(奈良県)は平安期、摂関家と寺社(興福寺が最大勢力)が保有する荘園で占められましたが、中世に入り武士の世になっても摂関家と興福寺は協調し利権を守り、鎌倉幕府も室町幕府も当国に守護を送り込むことは有りませんでした。 





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豊臣秀吉は興福寺の所領を2万1千石と定め、これを徳川幕府も踏襲し明治維新を迎えました。大和郡山城を築いたのは筒井順慶ですが、これを東大寺・興福寺からも眺望できる巨大天守閣を伴う城塞に拡張したのは豊臣秀長であり、大和の近世が始まりました。

 




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文化財や美術品の創造や維持にはお金が掛かり、安定した時代と理解のある統治者・パトロンは不可欠であり、現代も変わらない問題を抱えます。廃仏毀釈の最中、興福寺五重塔は廃材利用で25円(当時の1円=現在の3万円として、75万円)で売りに出されたらしいですが、守られてよかったです。一方で多くの文化遺産を抱える我が国が、先細る国力や価値観の変化の中でこれらをどう取り扱っていくのか注視していきたいと思います。 


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本特別展は11月30日迄やってます。

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