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歴史と旅の記録


赤城山から前橋へ ~DEC,2025~
今年の歴史散策は高崎の古墳詣で始めましたが、近々利根川の対岸の古墳群も見て歩こうと思っているうちに年末となりました。群馬県は西から妙義、榛名、赤城の名山が並びますが、このうち榛名・赤城の間をすり抜けて流れる利根川が縦に分断し、前橋市街に入ると徐々に東進していきます。延喜式でも名神大社として高い格式が規定されている赤城神社は、赤城山頂付近から南の低地にかけて三社が縦に並び鎮座しています。先ずはカルデラ湖畔(大沼)に建つ大洞赤城神社に向かいます。大沼は標高千四百メートルにあり、夏場はリゾート地ですが流石に人影少なく気温は5度でした。 現社殿は昭和四十三年に改築移転されたもので、数百メートル離れた旧社地はそのまま残されています。寛永十九年(1642年)に大老酒井忠清(前橋藩主)が建てた社殿が老朽化し、建て替えは明治期以来の課題だったようです。 現在地(小鳥ヶ島)には室町期の多宝塔が有り、地下からは平安~室町期の鏡や経筒が見つかってます。古くから信仰の場だった事がわかりますが、美しい場所とはいえよくこの高地の山奥を切り開いたものです。 当地は国
7 日前読了時間: 6分


制外の家“越前松平家”の光陰
家康の次男結城秀康は小牧・長久手の戦い(1584年)の後豊臣秀吉の養子となりましたが、淀君が最初の子“鶴松”を産み、小田原征伐(1590年)の後に結城晴朝の養子になりました。秀吉は家康を取り込む為に妹(朝日姫)を輿入れさせ、加えて母親(大政所)を人質に差出しましたが、嫡子となってもおかしくない秀康を養子として所望したのはバランスを取る上で必然だったと思われます。 本来の嫡子信康は、今川氏一族出身の築山殿との子でしたが織田信長の指示により既に切腹(1579年)をさせられていました。築山殿は正室として秀康の生母を側室と認めず、家康は暫く実子として認知できませんでした。不憫に思った信康が家康と密かに対面させたという逸話も有ります。一方、秀康は双子で生まれ、弟は暫く母親の実家の知立神社の神職をしていたという逸話も残ります。 小牧・長久手の戦い当時、家康には秀康、秀忠、忠吉、信吉の四人の男子が居ましたが、一番年上の次男秀康が養子に出た為、三男秀忠が徳川家嫡男となりました。秀康は九州征伐で初陣を果たし、葛西大崎一揆の鎮圧や文禄・慶長の役、会津征伐とキャ
11月25日読了時間: 5分


耶馬渓の紅葉見物と宇佐詣で ~NOV,2025~
耶馬渓は山国川の上・中流域に展開する峡谷全般を称し、100万年前に起きた大噴火による大量の火砕流堆積物(溶結凝灰岩)が浸食を受けて多様な顔を見せる景勝地となりました。今回は有名な一目八景(ひとめはっけい)を訪れましたが、無数の墓標の如く立ち並ぶ石柱や断崖の隙間が様々な色の木々で覆われています。 頼山陽は文政元年(1818年)に当地を訪れ、“耶馬渓”と名付けました。流石日本外史を全部漢文で書いた方で、如何にも山水画に出てくるような風景に中国風の名前を付けました。明治に入り父が中津藩士だった福沢諭吉は景観保全の為に、私財で競秀峰の土地を買収しました。国による“名勝”指定は風致景観の優秀な土地を保護する制度であり、大正八年に始まりましたが当地はその四年後に指定されました。 火砕流は阿蘇山の北方にある九重山の近くにあったカルデラから噴出したもので、地図で調べると噴火地点から耶馬渓まで直線で50kmくらい離れてます。この100万年前の大噴火の火山灰は大阪方面でも見つかっているそうで、相当巨大な噴火だった事が想像できます。九州は阿蘇山もそうですし、今尚活
11月22日読了時間: 5分


両国そぞろ歩き ~ NOV.2025 ~
両国には相撲を観る時にしか来たことは無いのですが、大相撲の無い平日を狙って静かな両国界隈を歩いてみました。 11月に入りNHK大河ドラマもラストスパートです。『べらぼう』の主人公蔦谷重三郎は晩年に入り、老中松平定信の失脚後の江戸がこれから描かれていきます。脚本も配役も素晴らしかったですが、とりわけ今注目しているのは葛飾北斎演ずるコメディアンのくっきーです。蔦重は喜多川歌麿を大成させただけではなく、駆け出しの頃の葛飾北斎を滝沢馬琴の本の挿絵を任せ世に出しました。 これから一か月の番組でどれだけ北斎の絡みがあるのかわかりませんが、くっきーの怪演が楽しみです。大江戸線両国駅から伸びる“北斎通り”を300mくらい歩くと、津軽藩上屋敷跡に“すみだ北斎美術館”があります。ちょうど“北斎をめぐる美人画の系譜”と称し特別企画展をしていました。“べらぼう”関連の展示も併設してますが、11月24日までという事でご興味有る方にはお薦めします。北斎は印象派にも影響を与えたと言われてますが、訪問客の8割以上は海外から来られた方々でやはり国際的な人気のようです。 ...
11月12日読了時間: 5分


西伯旅記@米子 ~OCT,2025~
大山は大凡2万年前に噴火をして以来静かで休火山のカテゴリーに入ってます。鳥取県西部に来ると何処からでも拝める名峰ですが、山体は噴火による崩壊や地下からの溶岩ドームにより複雑な形をしており、見る角度で全く異なる姿を見せてくれます。桝水高原から見上げると双子の山のように見えます。 米子城の頂きからは広い裾野を従える堂々としたコニーデ火山のようで、米子の人達は日々この姿を仰いでいます。 ゴルフ場では完全に富士山に見えました。富士山麓のゴルフ場もそうですが、芝目がきつくグリーンの傾斜はわかりづらく、ボールは意図せざるスピードと方向で転がっていきます。前日大神山神社と大山寺にお詣りしましたが、信心が足りなかったのかもしれません。 鳥取県の西部は伯耆の国であり、その中心は広く大山の山域で覆われてます。奈良時代に編まれた出雲国風土記には国引き神話が載せられており、大山と島根県の三瓶山から沖合の細長い島を引っ張り引き寄せたのが島根半島だそうです。弓ヶ浜はその時に引っ張った綱の名残りらしいですが、この有名な砂嘴は強い沿岸流によってもたらされたもので風土記が
11月1日読了時間: 6分


秋の大和路(今年は山の辺の道) ~OCT,2025~
山の辺の道は日本最古の官道と言われており、奈良盆地の東南辺の山際に沿って敷かれてます。ちょっと高台にある理由は、古墳時代に奈良盆地の多くは湿地帯や沼地だった為であり、更に遡れば縄文期は湖だった事によります。道沿いにある古墳や神社は当地がヤマトの国の発祥地であった事を物語っており、紀記の逸話を重ねながら歩くと楽しいです。眼下には大和盆地が拡がり、その先には生駒・金剛の山々が連なります。 今回は卑弥呼の墓ではないかと期待されている箸墓古墳(はしはかこふん)を先ずは訪れました。全長278mの前方後円墳で三世紀半ばから後半の築造と見られています。昨今は発掘された土師器、埴輪の形状、木材から炭素14年代測定法による年代アプローチが盛んであり、前方後円墳の時代別の形状からも築造年代は絞られてきました。 宮内庁は当該墓は第七代孝霊天皇皇女「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」の墓としてますが、日本書紀では彼女の夫は大物主神(おおものぬしのみこと)、即ちヤマト王権に国譲りをした出雲の神様であり、三輪山を神体として大神神社(おおみわじんじゃ
10月17日読了時間: 6分


興福寺北円堂の運慶仏(東京国立博物館特別展) ~OCT,2025~
興福寺はそもそも藤原氏の氏寺であり、奈良時代から平安時代初期にかけて百年余りを要し造られた大伽藍でした。中でも北円堂は一番最初の建造物であり、奈良時代初期(養老年間)に藤原不比等の慰霊の為に建てられましたが、意外にも天平期の法隆寺夢殿よりも古い八角堂です。 ...
10月8日読了時間: 4分


義仲が育った故地 ~SEP,2025~
長野県南部を縦に走る二つの谷(木曾谷と伊那谷)には西側を木曽川、東側には天竜川が流れてます。前者の源流は鉢盛山、後者のそれは諏訪湖で、水源は直線で30kmにも満たない距離ですが、県南で大きく方向が分かれそれぞれ伊勢湾と遠州灘に向かいます。伊那谷は広々とした河岸段丘による盆地...
10月1日読了時間: 5分


北鎌倉散歩 ~SEP,2025~
東京に居ると鎌倉は近いし何時でも行けるよねと考えがちですが、四十数年ぶりにゆっくり歩いてみました。否、正確に言うと十年前に坂東観音霊場巡りで御朱印を貰いに通り過ぎた事が有りましたが、社会人の貴重な休日を使い一部の寺社を車で動いただけなので、中世日本の歴史的故地を訪ね歩くとい...
9月27日読了時間: 6分


多賀城とは ~SEP,2025~
多賀城は奈良時代初期(神亀元年、724年)に造られた行政府であり、軍の駐屯地(鎮守府)でもありました。900m四方の敷地は高さ5mの塀に覆われ、3つの門から出入りできましたが、南門が復元されています。 東北地方を統べる政都と軍都を兼ねる点、これまで見てきた古代の国府跡とは...
9月18日読了時間: 5分


伏見回遊 ~ SEP,2025 ~
伏見は京都盆地の中でも最も低い場所で、京都市内を流れる桂川と鴨川、琵琶湖から流れる宇治川の合流地点に在ります。三川はその後淀川となり大阪湾に流れこみますが、物流拠点の要衝であり、京都盆地の軟水伏流水が大量に出てくる場所として酒造業も栄えました。当地も何から見ようか迷うエリア...
9月13日読了時間: 6分


浅間神社 河口湖から御殿場へ ~ SEP,2025 ~
浅間は旧くは“あさま”、中世くらいから“せんげん”と呼ぶようになった火山を意味する古語であり、富士山信仰とも相俟って浅間神社は富士山の周りに数多く有ります。9月に入っても酷暑が続いており、避暑も兼ねてどういう神社が並んでいるのか回遊してみました。先ずは大石公園に行き、河口湖...
9月3日読了時間: 5分


安曇野と千国街道 ~ AUG,2025 ~
糸魚川から南下し白馬・大町へと続く道は“塩の道”と呼ばれ、古くから塩や海産物が運ばれていました。松本藩は番所を設けて運上税を取っていましたが、資料館には山道を辿って塩を運ぶ人の銅像が建ってました。上杉謙信が武田信玄に塩を送ったのもこのルートだったようですが、有料だったのか無...
8月30日読了時間: 4分


和人の蝦夷支配 松前 ~AUG, 2025~
蝦夷地(北海道)唯一の幕藩体制下の大名である松前氏は、元々蠣崎氏と名乗っていましたが豊臣秀吉が亡くなり、いち早く徳川家康に臣従を誓い松前に改姓しました。アイヌ語由来とも松平と前田から取ったとも言われてますが、辺境の地に在りながら政変期における判断力は正しく、戊辰戦争に於いて...
8月10日読了時間: 5分


越中の古代史(前方後方墳と万葉の里) ~AUG,2025~
古代の越中国府は今の富山県西部、高岡市伏木に在りました。近くには雨晴海岸があり、地理的には富山湾の西側に寄っている為能登半島が近くに見え、富山湾と立山連峰の眺望が有名です。 大和朝廷は律令体制の整備の過程で“越(古志)”のくにを3つに分け(越前・越中・越後)ましたが、国境...
8月4日読了時間: 5分


芭蕉が歩いた庄内 ~JUL,2025~
前回「奥の近道」と称し、芭蕉の足跡を追い東北を回遊したのは十年前になります。まだ大震災の爪痕が残る中、平泉や松島を訪れた記憶は新しいのですが十年という時間の重みは、次の十年を如何に大切に生きるべきなのか多くの示唆を与えてくれます。前回は時間切れとなり尾花沢から帰京致しました...
7月26日読了時間: 6分
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