家督は兄にお還し申す ~水戸黄門と畠山満慶~
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古今東西家督相続の揉め事は数多く有りますが、長幼の序を重んじ弟から兄又は兄の子供に家督を還したのは水戸光圀と畠山満慶でした。

水戸黄門の放映が終了して久しいですね。放送開始は昭和44年だそうで40年以上も続いた長寿番組ですが、日本人の多く・・・特に当時のお父さん達は月曜の晩酌の御供でテレビを観て、印籠を出すシーンで溜飲を下げてました。週の始めは静かに勧善懲悪を楽しむのがいいと思いますが、リメイク再開を期待するのは自分だけではないでしょう。

水戸藩は徳川御三家の末弟、家康の11男頼房公が始祖で、光圀公は2代藩主となりますが次男になります。兄の頼重とは6歳違いで二人とも同じ母親(久昌院)から出生しました。兄は父頼房が堕胎を命じた為に家臣が公家の滋野井家で匿い、後年認知される事となります。

堕胎を命じた背景は、尾張・紀伊両藩を構える兄達(徳川義直、頼宣)に未だ世嗣が出来ない中で、末弟の自分が先に授かるのは宜しくないとの思慮が働いたものとされてます。六年後に生まれた光圀が生まれた際には既に尾張藩・紀伊藩には世嗣が誕生していましたが、再び頼房は堕胎を命じました。光圀の回顧録によれば久昌院が当時未だ正式な側室となっていなかった事が理由のようですが、家臣の下で育てられ数年後無事元服し世子となりました。そして兄の頼重は水戸藩連枝として小藩の大名となり、最後は高松藩12万石を拝領しました。

光圀は襲封後、自分の実子(頼常)を兄(高松藩主頼重)の養子(頼常)に出し、兄の実子(綱方・綱條)を自身の継嗣として引き取りました。「水戸黄門」では高松に何度か訪れており、実子『頼常殿』を気遣うセリフが出てきますが、これも歴史マニアの見どころの一つでしょう。

足利幕府の全盛期に君臨する足利義満の時代、畠山氏は斯波、細川と並び管領職に任じられる家として高い格式を持っていました。管領畠山基国の死に際し、義満から嫌われ失脚していた嫡男の満家は家督を継ぐ事が出来ず弟の満慶がこれを継承しました。ところがその2年後義満が亡くなると、兄の満家に家督を譲り、満家は御礼として満慶に能登の守護職を渡しました。戦国大名として最後は上杉謙信に滅ぼされた能登畠山氏の始まりになります。

畿内の激しい覇権争いの中で畠山宗家(河内家)は徐々に勢力を減らしていきましたが、能登の畠山家は鉄壁の要塞“七尾城”を足場に戦国大名化し、謙信の侵攻迄独立を維持しました。一昨年秋に七尾城を訪れましたが、地震の影響で石垣が崩れ本丸まで上がれませんでした(上からかもしかに見下ろされ、悔しい思いをしました)が、この春から行けるようになってます。

畠山氏は平氏から源氏になった珍しい氏族でした。鎌倉幕府創立の功臣の一人だった畠山重忠は、桓武平氏・秩父平氏の本流として武蔵北部を広く勢力範囲に収めた御家人で、人格・教養・武芸も秀でて“武士の鑑”と呼ばれた仁でした。北条時政の娘を妻にしてましたが、頼朝の死後北条氏と対抗しうる有力御家人が次々と粛清されていく過程で、重忠・重保親子も遂にだまし討ちに近い状況で時政・義時親子により滅ぼされました。

平氏の名門畠山氏の名跡が潰える事を惜しむ時政は、盟友の足利義兼の息子の義純と重忠室と婚姻させ、源姓畠山氏として再興させました。義純が室に迎えたのが時政の娘なのか、重忠と時政娘との間の娘なのか説が分かれているようです。前者ならば源姓畠山氏は足利家の男系継承、後者ならば義忠の母系継承となり平姓畠山氏は50%引き継がれた事になります。

本件は平姓畠山氏の血統が続いたのかという問題だけではなく、義純が重忠室(或いは娘)との再婚の際に新田義兼の娘と離縁した事で話が複雑になってます。新田娘との間に出来た子息(時兼・時朝)も同時離縁され、それぞれ岩松氏・田中氏を名乗りました。

南北朝、戦国の荒波を乗り越えて、畠山宗家、能登畠山氏、岩松氏は何れも旗本として江戸期を過ごしますが、畠山両家はそれぞれ高家旗本として5千石、3千石と高録を食む一方、岩松家は僅か120石の微禄で耐え忍びました。新田嫡流を名乗る岩松家の当主はお守りとして猫絵を描いて糊口を凌ぎました。この点、魔除け札を書いて売っていた阿波の足利家と似ています。

明治維新後爵位が導入され、高家畠山家を差し置き、南朝の英雄新田義貞の嫡流を任ずる岩松家が男爵となりました。通常大名に準ずる万石以上の陪臣に認められた男爵位を、500年以上前に天皇親政を掲げて挙兵したご先祖様のお陰で例外的に頂けました。岩松家は「猫男爵」と呼ばれたようです。

明治維新の重要な原動力となった水戸藩と化石の様に中・近世を生き延びた畠山氏は同様な美談で繋がってますが、家制度が希薄化した現代においても日本人ならほっこりする酒の当てになる話ではないでしょうかね。因みに、小生にとって水戸黄門様は東野英治郎です。




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