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総持寺祖院と過疎化 2023年4月


家族と和倉温泉で逗留した後、総持寺祖院を訪れました。総持寺は明治三十一年の大火を契機に現在の横浜市鶴見区に新設移転し、旧総持寺は総持寺祖院と呼ばれています。大火が有ったとはいえ、再建された上での横浜への移転であった為、総本山としての威容と風格は十分感じられます。曹洞宗ファンの方は是非永平寺とパッケージで北陸路を歩かれたら如何でしょう。


それにしても能登は日本の地方の激しい過疎化の象徴になってしまいました。私が時々参照する平凡社の『旧国名でみる日本地図帳』では能登の人口は江戸末期で20万弱(天保五年)、現在約17万ですので既にそれを下回ってます。因みに加賀は同時期23万人、現在94万人とすると、著しく加賀(というか金沢)に偏重してしまったことが読み取れます。

そしてその加賀も、江戸期日本の全人口が三千万人だった事を思えば、大都市部や太平洋岸への人口移動の結果全体の比率を落としてきたわけで、少子化問題と一極集中の平準化といった課題はダブルで深刻化しています。

日本の人口は奈良平安から鎌倉期で600万から800万、室町期に伸びて1500万程度、江戸中期以降は3千万程度で推移したそうです。人口減がもたらす影響は多様ですが、我が国の古代・中世の素晴らしい文化財・遺跡を見るにつけ、社会の民度とか品格みたいなものは人口の規模とは余り関係が無いのかなとも思ってしまいます。


私は長くエネルギーの仕事をしてきましたが、典型的な海外依存輸入ビジネスと言えます。今後脱炭素社会になったとしても引き続き大宗を輸入依存せねばならないのが実情ですが、人口減でエネルギー消費量やCO2排出量が減るのは一見朗報ながら、同時に市場の縮小やバーゲニングパワーの喪失を伴います。海外で競争力あるエネルギーを安定確保する為には、スケールメリットの取れる投資を行う必要ありますが、我が国のエネルギー産業は多くの会社が共存・分散しており、海外の巨大エネルギー産業と太刀打ちできる事業体は存在しません。ある程度市場規模がある間に、事業再編が出来ればいいと思います。


話がそれましたが、本来戒律や修行を重んずるなら山中の永平寺や奥能登の立地がいいと思いますが、明治のなかばで横浜に移転したのは、新たな信者獲得に向けたマーケティング戦略もあったのでしょう。

過去20年、旧門前町は平成の大合併で輪島市の一部となり、輪島や珠洲に伸びていた線路は廃止になりましたが、一方でのと里山空港が開港し1日2便羽田と往復便が飛んでます。交通インフラを観光資源へのアクセスにどう繋げていくのか、正念場にあると思います。


かつて福井県から新潟県は、総じて“越”の国でした。京に近い順に越前・越中・越後と先ずは国分され、奈良時代当初はまだ加賀も能登も越前に属してました。大伴家持が越中国司で赴任した時は能登は越中に属しており(加賀が越前から分離するのは平安初期)、家持は能登も含めて任国回りをして歌を詠んでます。

之乎路(しおじ)から 直(ただ)越え来れば羽咋の海(み) 朝凪したり 舟楫(かじ)もがも

(志雄から街道をまっすぐ超えてきたら羽咋の海に辿り着く 朝の穏やかな海を見ていると舟と櫂が欲しい) 

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