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信濃の二塔 2015年7月


北条義政(1243―1282)は執権義時の孫で北条氏の公達として連署まで上りましたが、急に出家し領地の塩田(現長野県上田市)に引き籠もりました。以後彼の家系は塩田流北条氏と呼ばれますが、鎌倉陥落時(東勝寺の乱)には一族で幕府方に駆け付け、北条一門と共に自害し滅びました。いざ鎌倉を地でいく生きざまでした。




塩田北条氏は仏教・文化財を庇護し、この地は信濃の鎌倉と呼ばれます。訪れた二塔は何れも塩田北条氏時代の建造で、国宝指定を受けてます。当地の支配者はその後村上氏、真田氏(武田氏)と移りますが、戦火に合わず700年無事拝めるのは有難いことです。


① 安楽寺八角三重塔

八角塔はかつて京の法勝寺や、奈良の西大寺にありましたが、この塔は日本で唯一残っているものです。1290年頃、義政による建立と言われてます。







② 大宝寺三重塔

1333年(正慶二年)、まさに鎌倉幕府滅亡の年に建立されました。義政の息子国時は、二息(俊時、藤時)を連れて出陣し鎌倉で自決しますが、この塔の完成を見ることはできたでしょうか。

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