春の飛騨路(江馬氏館他) APR,2024
東京から金沢に帰るルートは、高速が繋がってしまった今は長野道で妙高を越えて北陸に入るのが一番早いですが、地図で見ると一目瞭然で大変な迂回ルートです。かつては松本から平湯峠を越えて41号線を北上し富山を目指しました。近年出来た東海北陸自動車道に加えて、将来東西に中部地方を横断する中部縦貫自動車道が出来れば、こちらのルートを使うのが冬季を除き合理的になるでしょう。ただし今回改めて思いましたが、盆地毎に味わい深い町が点在する飛騨路は高速道路で素通りするのはもったいないですね。
飛騨は古代から近世に跨る日本史の縮図です。10万石に満たない山岳の小国ですが、縄文・古墳期の遺跡群、国造や律令国(飛騨国)が設置され、鎌倉期には京都から国司で来て土着した姉小路氏、北条氏により伊豆から送られた江馬氏、室町期に近江から守護でやってきた京極氏とその一族三木氏、織豊期を上手く渡り歩き三木氏を滅ぼした金森氏(土岐氏)と支配者も多種多彩でした。
松本から平湯峠を越えて飛騨に入りますが、途中有名な観光地上高地を横目に九十九折りの坂道を上ります。春の新緑の山々の間から垣間見える冠雪の北アルプスが美しいです。武田軍は標高1,400mを超える峠を越えて侵攻したのでしょうが、天嶮を跨いで統治するのは容易でありません。
古川で泊まりましたが、宮川の支流を挟んで美しい街並みが続きます。数年前にアニメ映画『君の名は』で描かれ聖地となったようです。当日は偶々祭礼の日で有名な屋台の準備が進められてました。
東京と同様こちらも桜の開花は遅れた様で、散り始めた時期ではありましたが桜吹雪と共に街道沿いの桜を堪能致しました。金森氏が築いた増島城の遺構の一部が、小学校の敷地の側に佇んでます。金森氏は元禄期に転封され以後飛騨は天領となり高山に郡代が置かれますが、その時に本城の高山城と共に廃城となりました。
今回の旅行は江馬氏館を訪れたいと思い立ち企画しましたが、古川からはひと山越えた神岡の盆地にあります。江馬氏は伊豆田方郡が発祥で、清盛の弟経盛の子が北条時政に仕え鎌倉の御家人になったのが由来だそうです。謎の多い氏族ですが、鎌倉幕府の御家人が飛騨に派遣されたものと解釈すると、承久の乱を待たずに幕府勢力が当地に拡がりつつあったと考えられます。神岡は鉱山で有名ですが、同地は奈良時代から金銀の採掘が始まったところであり、江馬氏が置かれたのはそうした背景かもしれません。明治に入り三井が大型開発を進め神岡は豊かな町になり、岐阜エリアで初めて電気が通ったとの事です。
江馬氏は本能寺の変後間もなく滅亡し、館も破壊され枯山水の庭園と共に埋められ永らく農地となってました。皮肉な事にこの旧跡が本格的に発掘されたのは、戦後神岡鉱業の亜鉛精錬廃棄物による神通川のイタイイタイ病が問題になり、当地域の農地も全面的に土の入替をする必要が起きた事がきっかけでした。
神岡城は江馬氏が築城したものですが、現在ある模擬天守は三井鉱山操業100年を記念し五十年余り前に作られたもので、当然当時は天守閣はありません。
飛騨は国分寺も安国寺も現存していますが、国衙跡については未だ識別されていません。恐らく古川町の隣にある国府町のどこかにあるのでしょうが、この狭い盆地界隈のどこかに眠っているのでしょう。安国寺の高台から平地を見下ろし眺めていると、飛鳥時代の最初の国府が目に浮かびます。経蔵は国宝であり必見ですが、臨済宗寺院は観光客に媚びませんので静かに散策しましょう。
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