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浅間神社 河口湖から御殿場へ ~ SEP,2025 ~

  • 執筆者の写真: 羽場 広樹
    羽場 広樹
  • 9月3日
  • 読了時間: 5分

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浅間は旧くは“あさま”、中世くらいから“せんげん”と呼ぶようになった火山を意味する古語であり、富士山信仰とも相俟って浅間神社は富士山の周りに数多く有ります。9月に入っても酷暑が続いており、避暑も兼ねてどういう神社が並んでいるのか回遊してみました。先ずは大石公園に行き、河口湖と富士山を拝むこととします。初冠雪は平年ベースで10/2らしいですが、あと一か月で果たして冠雪するでしょうか。 


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平日の午前中にも拘わらず、新倉富士浅間神社は海外からの観光客で混んでます。お目当ては境内から見える富士山ですが、鳥居の横に“先ずはお詣りをしましょう”と書かれており、この神社の悩みどころなんでしょう。本殿から更に上に登ると忠霊塔(五重塔)があり、有名な富士山と五重塔が写る映えスポットがあります。90%以上の訪問者は写真を撮りに来られており、黙々と箒を掃く巫女さん達と疎らな参拝者が妙に心に残りました。周囲には多くの民間パーキングが千円で呼び込んでおり、先に埋まっていきます。1,500円する神社駐車場には3台しか停まって居らず、すいすい止めてお詣りを済ませました。高い駐車代は巫女さん達を含め神社の運営費だと思えば安いものです。 


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河口浅間神社は貞観の大噴火(864年)に際し、国司の橘末茂が朝廷に奏上し創建したとあります。有史で富士山の大噴火と呼ばれるものは、9世紀初頭の延暦、貞観、そして江戸期の宝永と3回有りましたが、取り分け貞観と宝永の大噴火は大きなものでした。貞観の大噴火では北西方向に溶岩が流れ、当時一つの湖だった“剗の海(せのうみ)”が分断され本栖湖・精進湖・西湖に分かれたと言われてます。境内の7本杉は樹齢1200年、本殿の前には当時の祭祀遺跡の一部が置かれてました。 


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河口湖南岸の湖畔に建つ富士御室浅間神社は富士山中最古の社といわれ、特定の噴火に起因し草創されたものではありません。武田信虎や信玄より手厚く保護され、武田信玄公御祈願所との石碑も建っています。上述貞観大噴火による溶岩流のルートから外れ、宝永大噴火では大量の灰が降りましたが主に東方向に飛んだ事で、河口湖近辺の神社は壊滅的被害を被る事は無かったと思われます。表参道の木陰は湖に近い事もあり、涼しいそよ風の中快適な散歩をさせて頂きました。 


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県境を越え須走に入ると東口富士浅間神社があり、静岡県側から富士山を拝む事になります。小田原藩主が建てた楼門が美しいですが、宝永の大噴火では3m以上の灰で埋まり、楼門も含め大きな被害を受けました。境内に置かれた噴火時に飛んできた火山弾は1トンのものもあります。やはり火山のエネルギーは甚大です。

 




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浅間神社の主祭神は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)で古事記、日本書紀の両方で出てきます。所謂天孫降臨で地上界に降りた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が絶世の美女である木花之佐久夜毘売と一夜を共にし、火中で出産した山幸彦が神武天皇の祖父にあたるわあけですが、火山の噴火と神の出産がリンクし浅間神社に祀られたものと想像されます。ヤマタノオロチは出雲における縄文期の火山活動による溶岩流を表すとの本もあり、火山活動と神話の成り立ちは日本では珍しい事ではないのでしょう。

 










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さて上述宝永の大噴火で須走は甚大な被害を受けたわけですが、領主の小田原藩は復旧困難とし領地を幕府に返却し、当地は幕府が直轄します。関東郡代伊奈忠順は被害地域の復興に尽力しますが、飢餓に苦しむ農民の為に幕府の御蔵米を供出し罷免されました。明治になり伊奈神社が創建され、今尚地元の尊敬を集めてます。

 
















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御殿場市内に入るとユニークな神社が並んでます。神場山神社の境内には爆竹のようなものが多数ぶら下がってます。何だろうと思いましたが、病気になると神社から小さなハサミを借りて枕の下に置き、治癒すると神社に返すのだそうです。

 





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二岡神社では黒澤明の「七人の侍」が撮影されました。本殿の前には古びた灯篭が置かれており大森頼春が寄進したとのこと。頼春は小田原に領地を拡げ、小田原城を築城しましたが孫の代で伊豆から攻めてきた北条早雲に奪われ没落しました。

 

















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御殿場駅の傍にある新橋浅間神社には、富士山の伏流水が湧き出ており、ご近所の方々が頻繁にペットボトルを抱えてもらいに来ています。このあたりは噴火の脅威はありますが、絶景と名水の恩恵はなかなか捨てがたいですね。加えて温暖な気候と駿河湾の魚もあり、百年に一度灰を被るくらいならリスクは許容・甘受できるかなとも考えてしまいます。

 



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藍澤五卿神社は承久の乱で首謀者として捕縛され処刑された5人の公卿を祀っており、葉室宗行権中納言は当地で斬首されました。今上陛下も皇太子時代に来られたようです。この大事件では、後鳥羽上皇を始め3人の上皇が遠流となりましたが、鎌倉幕府は廷臣達には容赦しませんでした。元来朝廷は死の穢れを恐れていた為、平安時代では永らく死刑という刑罰は有りませんでしたが、武士の世の中になったという見せしめという意味もあったのでしょう。但し、この五人はすべて京や鎌倉から離れた護送中の途上で斬られました。 


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狭い敷地で目立たない社殿でしたが、扁額には葉室家35代葉室頼昭氏が揮毫されてます。同氏は2009年に亡くなられましたが、阪大出身の開業医(形成外科)で春日大社の宮司をされてました。

 


















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新倉富士浅間神社のwebに、桜と冠雪した富士と五重塔の有名な写真が載ってます。察するに晴れた日は相当な喧騒なんでしょうね。

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