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西山逍遥 ~ 京都 MAY,2026 ~

  • 10 時間前
  • 読了時間: 7分

今回は桂川の西側を回遊しようと思い、長年行きたかった西芳寺(苔寺)を予約しました。大きな前線が近づいているとかで、晴れているうちに眺望のいい場所に行こうと探しましたが善峯寺が一番いいようです。東山では将軍塚古墳からの眺めが一番でしたが、ここからは逆方向で京都盆地を眺めることになり、正面に比叡山の稜線が連なります。 


桓武天皇は平城京から平安京に遷都する間に、桂川の手前で一旦長岡京を造営しました。西山周辺にはこの長岡京遷都に際し造立された寺社も残っており、又それ以前には外来系である秦氏の植民地域でもあった事から多くの伝承・由来が錯綜してます。

 















西芳寺の由来は聖徳太子の別荘跡に遡ると言われています。桂川を超えた嵯峨野の入り口には秦氏の名前を採る太秦(うずまさ)があり、太子開基の広隆寺や蛇塚古墳もあり、嵯峨野から西山にかけて秦氏の支配領域だった事が想像できます。

 




70年代から参詣は完全予約制になっており、従来はハガキで申し込むスタイルだった為に敷居が高く訪れる機会が有りませんでした。最近WEB予約が可能になり、嬉しくなって何回来れるのか保障も無いのにSaihokaiという年間サポートメンバーにもなりました。広大な回遊庭園に美しく広がった苔は素晴らしいのですが、そもそも桂川に流れ込む近隣の西芳寺川が何度も氾濫した事が苔が拡がった理由のようです。 


足利義満が座禅を組み、岩倉具視が幕末に隠棲し、スティーブジョブズが通った理由はよくわかりました。観音経の一節を写経させて頂きお土産に頂くサービスもあり、敷居が高いと敬遠していた己を恥じた次第です。Stay hungry, stay foolish!

 




西山の寺院は何処も紅葉の季節がピークで、境内を歩いていると秋はさぞかし美しいだろうと想像できる樹木が茂ります。金蔵寺には登山道があり複数のハイカーのグループに逢いましたが健脚のご老人が多いです。山門前には駐車場は有るものの、山道は狭く急峻でタクシーの運転手さんはかなり神経を使ってました。




十輪寺は在原業平が隠棲した寺と言われてます。業平は平城天皇、桓武天皇の孫であり本来サラブレッドとも言える正統皇族でした。ところが祖父の平城上皇が嵯峨天皇との政争に敗れ、薬子の変の当事者だった為に朝臣としての経歴は振るいませんでした。一方歌詠みの才能に優れ六歌仙や百人一首の詠み手の一人として選ばれており、稀代のプレーボーイとして名をはせ伊勢物語の主人公とも言われてます。

 












こちらには業平のお墓と称する小さな宝篋印塔が有りましたが、中世以降に造られるようになった宝篋印塔は時代が合いません。かつて業平の恋人だった藤原高子(清和天皇皇太后)が近くの大原野神社に詣でた際に、大坂湾の海水で作る塩釜から立ち上る煙でその所在を伝えたとの伝説もあります。実際に塩釜が有り感動したものの、よく解説を読んだら近年造られたものだそうです。伝説はそれとして遷都に抗った平城天皇の末裔が、廃都(長岡京、平城京)に近い山中で隠棲したストーリーは身に沁みます。 


紅葉の西山で多くの参拝客を集める善峯寺に来ました。近隣では最大の伽藍と境内を誇りますが、こちらも桂昌院(徳川綱吉実母)により大きな修復や造営を受けています。彼女は全国遍く神社・寺院への援助を行いましたが、こちらは特に力を入れた寺院でした。山上まで建造物が置かれており、頂上の薬師堂からは上述絶景が拡がりますので上り坂を我慢しながらも是非訪れたい場所です。

 


苔寺の近辺にはちょっと癖?のある味わい深いお寺が並びます。地蔵院は別名竹寺と言います。桂川の対岸の天龍寺の竹林の小径がもはや人混みで身動きが取れない昨今、こちらは穴場ですね。

 





足利幕府草創期に管領を務めた細川頼之の菩提寺になります。足利一族の細川家は室町期を通じて管領家として天下を治め、四国や和泉を兵站として畿内の戦国時代の雄となりましたがやがて守護代の三好氏にその地位を取って変わられました。自然石で出来ている頼之の墓は古木の根に抱かれており、奥には細川護熙元総理が植樹されています。熊本藩主となった細川家はかなりの庶流でしたが、600年を経て首相を出した家は細川家以外に有りません。 


又こちらは、後小松天皇のご落胤と言われる一休宗純が育てられた場所との言い伝えもあります。一休さんは6歳で安国寺に入り出家しましたが、それまでこちらで育てられたとのこと。

 






SNSでの照会が多い華厳寺(鈴虫寺)もこの界隈にあり、数千匹の鈴虫が年中飼われてます。5月だというのに京都市内は30度を軽く超えて蒸し暑かったですが、当寺は鈴虫の為にエアコンが完備され室内は快適でした。30分の法話は手慣れたもので楽しく聞かせて頂きましたが、昨今檀家制度が壊れ仏様の教えを聞く機会は減っており、特に若い人々にとっていい経験になるのではと感じました。本堂建て替えに際し裏山の補強を含め巨額の経費を要するとの事で、微力ながら貢献させて頂きました。 


勝持寺は別名花の寺とも呼ばれますが、西行(佐藤義清)が出家した寺として有名です。

 

 







平清盛と略同級生であり鳥羽上皇に仕える北面の武士ですが23歳で出家しました。出家した理由は謎ですが、鳥羽院中宮だった待賢門院璋子へのかなわぬ恋慕が原因という説もあり、2012年の大河ドラマ「平清盛」では本説が採用され脚色されてました。藤木直人が西行役、檀れいが璋子役でした。



隣接する願得寺には国宝「如意輪観音」が鎮座し、500円の拝観料で拝ませて頂けます。創建は古く7世紀後半に遡りますが、近年荒廃しご本尊は勝持寺に預けられていたとのこと。平安前期の仏像はきりりと引き締まった男前で、象に乗った東寺の普賢菩薩がかっと目を見開いているようで迫力が有りました。意外な場所で国宝仏に出会えました。

 









大原野神社は長岡京遷都に際し、春日大社から勧請された藤原氏の社になります。紫式部は源氏物語で、同神社に行幸する冷泉帝(実父は光源氏)と、それを見学する玉鬘と実父の頭中将とのを再会を描きました。






地元出身の伊勢ノ海部屋藤ノ川は去年の夏場所で幕内に上がりましたが、現代大相撲の中では体重123kgとかなりの小兵であり粘り強くよく頑張ってます。当社では300年以上続く神前相撲があり、彼もここで育ったのでしょう。まだ21歳で将来が楽しみです。

 




正法寺は数多くの巨石が集められており、石の寺と呼ばれてます。鑑真の弟子が開いたお寺で寺歴は奈良時代まで遡ります。西山の社寺は戦乱の多かった京の中心部や東山と異なり、秦氏の時代から静かに佇んできたようで、換言すれば京といい距離感を保ってきたのでしょう。派手さは無いですが長い時間の経過は伝わり、落ち着ける空間でした。

 



松尾大社は秦氏の守護社として大宝元年(701年)に建てられましたが、それ以前は松尾山に磐座として信仰されていたようです。社内の亀ノ井は古来名水として有名で、これで造ったお酒は腐らないとのこと。

 





今や当社は酒造の神様であり、酒呑みとしては一度ご挨拶に来ねばなるまいと考えてました。京と秦氏のテーマは朝鮮半島における王朝間の覇権抗争や平安京以前の古代ヤマトを理解する上で興味深い話題です。又近い将来、太秦や嵯峨野をゆっくり歩く機会を持ちたいと思います。 




移動途上、住宅街の中に白鳳期から平安時代まで続いた古代寺院(樫原廃寺)跡がありましたが、これも秦氏関連遺跡の一つです。桂川流域は氾濫原であり、元々京の西側(右京)は湿地帯だった様ですから白鳳期にはこのあたりの段丘で重要建築物が建てられたのかなと想像しました。

 

 


法輪寺からは渡月橋と対岸の嵐山地域が見えます。今回見歩いた西山地域は、比較的静かで深い京都を体感できる貴重なエリアでした。嵐山で人混みに疲れたら、渡月橋を渡るのもいいでしょう。

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