

渥美半島 田原から豊橋へ ~ JAN,2026 ~
冬の歴史ツアーはなるべく雪を避けて計画しており、太平洋岸を走るにしても凍結しやすい箱根と伊吹山から雪が流れ込む東海エリアは天気予報を確認しながら向かう事にしてます。今年は西国三十三か所巡礼や四国八十八か所巡礼に着手しようかと考えており、手始めに来月は那智勝浦の青岸渡寺に向かおうと計画してます。伊勢湾岸道路はこれまで結構走ってきたので偶には渥美半島から鳥羽に渡るフェリーに乗ってみようと思い、下見がてら伊良湖岬に向かいました。 灯台の先には旧陸軍設備も置かれた神島、その向こうには鳥羽市沖合の答志島他が霞んで見えます。伊良湖港と鳥羽港はフェリーで55分で結ばれており、8~9便/日運航されているとの事で使いやすいですね。灯台の近くに、近隣の島に流された天武天皇皇子麻績王(おみのおう)の万葉歌碑が有ります。この皇子は日本書紀では因幡国に流されたとの記述有りますが、万葉集ではこちらに流された事になってます。背景は不明ですが、一説によると壬申の乱で大友皇子側に付いたと言われてます。不謹慎ながら風光明媚でいい流刑地です。今回はここから田原、豊橋に向かいます。
7 日前読了時間: 7分


吉備路めぐり(総社辺り) ~JAN,2026~
年が明け今年最初の歴史巡りは岡山にしました。広島に住んでいた頃、水島や玉島に出張する機会は有りましたがゆっくり観光をする時間は有りませんでした。山陽道で際立って古代から開けていた当地の事は昔から気になってましたので、わくわくしながら回遊しました。先ずは高いところに上ってみようと、鬼ノ城と呼ばれる古代城塞の頂きに立ってみます。663年白村江の戦いで敗れた大和朝廷は、西日本各地に新羅・高句麗・唐の侵攻に備え幾つか城郭を築きました。百名城ではここと大宰府の大野城、続百名城では同じく大宰府の水城(みずき)、佐賀県の基肄(きい)城、そして対馬の金田城が指定されています。 縄文海進により五千年前から弥生時代までは現在の岡山・倉敷エリアは殆ど海中で、児島半島は独立した島でした。一方内陸の総社地域は当時から陸地で、古代遺跡(巨大古墳、神社、国分寺跡)が集まってます。 早くから開けた地域であり米作の伝来も紀元前6世紀と見られており、記紀や古墳の調査により出雲や北九州エリアに匹敵する有力首長の存在が確認できます。後漢に朝貢(107年)した帥升(すいしょう)が吉
1月11日読了時間: 5分


安房里見氏の痕跡 ~ DEC,2025 ~
里見氏は安房を拠点にした戦国大名として有名で、関ケ原の戦い後、館山を主城とする12万2千石の大名として江戸幕藩体制の中に一度組み込まれました。大坂冬の陣の直前、大久保忠隣の改易に連座し伯耆倉吉3万石へ転封を命ぜられましたが、現地には実質4千石の領地しかなく改易に近い処分でした。藩主里見忠義は3年前に大久保忠隣の孫娘を正室に迎えていました。そもそも安房里見氏は、結城合戦(1441年)に敗れた里見義実が白浜城に本拠地を構え、里見氏再興を目指したのが始まりです。 白浜城址の麓に義実が開基した杖珠院が佇んでいます。文安元年(1444年)開基とありますので、結城合戦から3年後に建てられたことになります。 義実公の墓からは太平洋の海原が見えます。こちらには初代義実・二代成義・三代義通・五代義豊の木像が正保四年(1647年)に造られ置かれているとのこと。何故四代と六代以降が飛ばされてるのか気になりますが、天文三年(1534年)に起こった里見家内部の継嗣争いと関係してるのかもしれません。 里見氏は元々新田義重から分かれた新田氏庶流であり、新田源氏を自称する
2025年12月18日読了時間: 5分






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