

堺 古代から近世をめぐる ~FEB,2026~
中学生の頃「黄金の日々」を観てからの願望が叶い、堺に来ました。大仙公園は仁徳天皇陵と履中天皇陵の間に拡がり、多くの百舌鳥古墳群の陵墓が並んでいます。平場で古墳を見ても特に大型古墳はこんもりとした森のようで全容を掴むのは難しいですが、100メートルまで上がる気球に乗れるサービスが有るとのことで勇気を出して乗り込みました。 高所恐怖症の為上昇するに連れてしゃがみこんでしまいましたが、大仙古墳の全容や堺市街を見る事が出来ました。大きなビルは手前に堺市長舎、遠方に“あべのはるかす”が見えます。 堺の百舌鳥古墳群と隣の藤井寺にある古市古墳群の築造は、“倭の五王”がいた時代、即ち大和王権が全国統一を果たし大陸王朝に朝貢し、海外に交流を拡げる時代に相当します。江戸後期から明治にかけて治定された天皇陵墓は、近年科学的アプローチの進化に伴い疑念が生じており我々が学生時代に教わった陵墓の呼称は変わってきています。現在旧仁徳天皇陵は大仙古墳と呼ばれ、公園の南にある旧履中天皇陵は上石津ミサンザイ古墳と呼ばれてますが、即位順が仁徳→履中に対して最新の年代推定では後者
12 時間前読了時間: 8分


筑西の渋い城下町 @笠間 ~JAN,2026~
日本三大○○というのは得てして四つも五つもあるケースが多いですが、“お稲荷”さんも例外ではないようです。伏見稲荷と豊川稲荷は不動の一番・二番ですが、三番手は地域によってまちまちで関東では大凡“笠間稲荷”が三番手に挙げられます。 そもそもお稲荷さんの主神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で穀物の神様であり、当該地域が旧くから穀倉地帯であったという証左でしょう。お稲荷さんといえば神様の“お使い”である狐で有名ですが、狐を神様本体だと勘違いしている人が一定数いるようで立派な注意書きに苦笑しました。 笠間城は承久の乱の二年前、1219年に笠間時朝により築かれました。彼は下野の名門宇都宮氏の一族であり、以後笠間氏は秀吉の小田原征伐まで当地を支配しました。坂東の名族はたいてい平将門に代表される桓武平氏、その将門を滅ぼした藤原秀郷、そして前九年・後三年の役で活躍した源頼義・義家の何れかを祖としている場合が多いですが、宇都宮氏は藤原道兼の末裔を自称します。道兼は花山天皇を騙して出家させ、一週間だけ関白をやり病没した数奇な人生を送り、摂関家の主流は弟の道長の系統
1月31日読了時間: 6分


渥美半島 田原から豊橋へ ~ JAN,2026 ~
冬の歴史ツアーはなるべく雪を避けて計画しており、太平洋岸を走るにしても凍結しやすい箱根と伊吹山から雪が流れ込む東海エリアは天気予報を確認しながら向かう事にしてます。今年は西国三十三か所巡礼や四国八十八か所巡礼に着手しようかと考えており、手始めに来月は那智勝浦の青岸渡寺に向かおうと計画してます。伊勢湾岸道路はこれまで結構走ってきたので偶には渥美半島から鳥羽に渡るフェリーに乗ってみようと思い、下見がてら伊良湖岬に向かいました。 灯台の先には旧陸軍設備も置かれた神島、その向こうには鳥羽市沖合の答志島他が霞んで見えます。伊良湖港と鳥羽港はフェリーで55分で結ばれており、8~9便/日運航されているとの事で使いやすいですね。灯台の近くに、近隣の島に流された天武天皇皇子麻績王(おみのおう)の万葉歌碑が有ります。この皇子は日本書紀では因幡国に流されたとの記述有りますが、万葉集ではこちらに流された事になってます。背景は不明ですが、一説によると壬申の乱で大友皇子側に付いたと言われてます。不謹慎ながら風光明媚でいい流刑地です。今回はここから田原、豊橋に向かいます。
1月16日読了時間: 7分






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