

志摩の国 ~FEB,2026~
十世紀に纏められた延喜式では、律令体制下で置かれた六十余州の国々をその国力に応じて大・上・中・下と4つのランクに分類しました。志摩は9つ指定された下国の一つで、2郡しかない小さな半島であり平地が少なく農業生産性に乏しい地域です。一方古来、若狭・淡路と並び朝廷に海産物を納める“御食国”(みけつくに)として重視されてきました。船舶交通の難所が続く海沿いには要所毎に灯台が並びます。安乗埼灯台は半島の海岸線の中点に有り、そこは志摩を二分する的矢湾の入り口でもあります。 昨夏人生初のお伊勢詣りで賢島に逗留しましたが、伊勢湾道経由ぐるりと迂回し志摩に向かい片道500km余りのドライブになりました。今回はちと趣向を変えて、渥美半島の先端にある伊良湖岬から車載フェリーで鳥羽に向かいしました。一時間ぐらいの船旅ですが、伊勢湾入口の島々を眺めながらお弁当を食べるもよし昼寝もよし、リラックスできる時間です。 途中で島の案内がアナウンスされます。伊良湖を出て間もなく見える神島は三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台とのこと。調べてみたら何と5回も映画化されて何れも島がロケ
1 日前読了時間: 5分


堺 古代から近世をめぐる ~FEB,2026~
中学生の頃「黄金の日々」を観てからの願望が叶い、堺に来ました。大仙公園は仁徳天皇陵と履中天皇陵の間に拡がり、多くの百舌鳥古墳群の陵墓が並んでいます。平場で古墳を見ても特に大型古墳はこんもりとした森のようで全容を掴むのは難しいですが、100メートルまで上がる気球に乗れるサービスが有るとのことで勇気を出して乗り込みました。 高所恐怖症の為上昇するに連れてしゃがみこんでしまいましたが、大仙古墳の全容や堺市街を見る事が出来ました。大きなビルは手前に堺市長舎、遠方に“あべのはるかす”が見えます。 堺の百舌鳥古墳群と隣の藤井寺にある古市古墳群の築造は、“倭の五王”がいた頃、即ち大和王権が全国統一を果たし大陸王朝に朝貢し、海外に交流を拡げる時代に相当します。江戸後期から明治にかけて治定された天皇陵墓は、近年科学的アプローチの進化に伴い疑念が生じており我々が学生時代に教わった陵墓の呼称は変わってきています。現在旧仁徳天皇陵は大仙古墳と呼ばれ、公園の南にある旧履中天皇陵は上石津ミサンザイ古墳と呼ばれてますが、即位順が仁徳→履中に対して最新の年代推定では後者の
2月19日読了時間: 8分


筑西の渋い城下町 @笠間 ~JAN,2026~
日本三大○○というのは得てして四つも五つもあるケースが多いですが、“お稲荷”さんも例外ではないようです。伏見稲荷と豊川稲荷は不動の一番・二番ですが、三番手は地域によってまちまちで関東では大凡“笠間稲荷”が三番手に挙げられます。 そもそもお稲荷さんの主神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で穀物の神様であり、当該地域が旧くから穀倉地帯であったという証左でしょう。お稲荷さんといえば神様の“お使い”である狐で有名ですが、狐を神様本体だと勘違いしている人が一定数いるようで立派な注意書きに苦笑しました。 笠間城は承久の乱の二年前、1219年に笠間時朝により築かれました。彼は下野の名門宇都宮氏の一族であり、以後笠間氏は秀吉の小田原征伐まで当地を支配しました。坂東の名族はたいてい平将門に代表される桓武平氏、その将門を滅ぼした藤原秀郷、そして前九年・後三年の役で活躍した源頼義・義家の何れかを祖としている場合が多いですが、宇都宮氏は藤原道兼の末裔を自称します。道兼は花山天皇を騙して出家させ、一週間だけ関白をやり病没した数奇な人生を送り、摂関家の主流は弟の道長の系統
1月31日読了時間: 6分






_edited_edited.jpg)