

西山逍遥 ~ 京都 MAY,2026 ~
今回は桂川の西側を回遊しようと思い、長年行きたかった西芳寺(苔寺)を予約しました。大きな前線が近づいているとかで、晴れているうちに眺望のいい場所に行こうと探しましたが善峯寺が一番いいようです。東山では将軍塚古墳からの眺めが一番でしたが、ここからは逆方向で京都盆地を眺めることになり、正面に比叡山の稜線が連なります。 桓武天皇は平城京から平安京に遷都する間に、桂川の手前で一旦長岡京を造営しました。西山周辺にはこの長岡京遷都に際し造立された寺社も残っており、又それ以前には外来系である秦氏の植民地域でもあった事から多くの伝承・由来が錯綜してます。 西芳寺の由来は聖徳太子の別荘跡に遡ると言われています。桂川を超えた嵯峨野の入り口には秦氏の名前を採る太秦(うずまさ)があり、太子開基の広隆寺や蛇塚古墳もあり、嵯峨野から西山にかけて秦氏の支配領域だった事が想像できます。 70年代から参詣は完全予約制になっており、従来はハガキで申し込むスタイルだった為に敷居が高く訪れる機会が有りませんでした。最近WEB予約が可能になり、嬉しくなって何回来れるのか保障も無
9 時間前読了時間: 7分


ヤマトの北限 秋田 ~MAY,2026~
秋田市郊外にある大森山展望台は僅か標高124mの低山の頂に有りますが、北は男鹿半島から秋田市内を一望できます。南方向には遥か雪を頂く鳥海山を臨み、大パノラマを楽しめますがそれだけ雄物川が開いた沖積平野が広いという事でしょう。 関ヶ原の戦いの後に秋田への転封を命ぜられた佐竹義宣は、京から水戸に寄らず直接新任地に向かいました。明らかな左遷で不本意だったと思いますが、湯沢の峠を越えて肥沃な土地を見て“ご機嫌が治った”事から御機嫌坂と名付けられたそうです。 日本書紀では崇神天皇が四人の皇族を将軍に任じ、東海・西海・高志(越)・丹波を征服させたとあり、この内北陸道に兵を進めたのが大彦命(おおひこのみこと)で崇神帝の伯父にあたります。以来ヤマト朝廷は奈良時代まで北への領土拡大を目指し天平五年(733年)に秋田城を築きました。 近くの古四王神社には武甕槌神(タケミカヅチ)と大彦命が祀られてます。前者は国譲りの直談判をし神武東征にも貢献した鹿島神宮の主祭神、後者は実際には新潟県北部くらいまでは来たと思われる日本海側征服のヒーローです。社伝では当社は7世紀に
7 日前読了時間: 7分


ついに四国のお遍路へ(一番~十番) 徳島 ~ APR,2026 ~
昨年同時期に親族の結婚式で徳島を訪れた折、そろそろ八十八箇所霊場に着手したいと思いました。余りにも著名な巡礼地でもあり(車で回るにしても)ハードな行程だと感じてましたので、それなりに心の準備をしつつ再訪しました。四方見(よもみ)展望台からは四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋、振り返ると鳴門から遠く徳島の市街地が見え、名前の通り360度絶景が楽しめます。 十年以上前に坂東三十三観音霊場を一年余りかけて回りました。当時は未だ多忙な現役部長だったので、ゴルフの無い土日を利用しながら数回に分けて訪れました。“結願(けちがん)”の印を頂いた達成感も有り、那古観音から眺めた安房館山の海は格別美しく感じられました。 徳島(阿波)と館山(安房)は古代密接に繋がっていたと言われており、阿波を拠点とした忌部氏(いんべし)は黒潮に乗り房総半島に上陸し開発を進めたと考えられてます。阿波一の宮である大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)と、安房一の宮である安房神社は共通の主祭神(天太玉命 - あめのふとだまのみこと)を頂きます。忌部氏は麻布・木綿の製造に秀でていたらしく神社の名前に
4月26日読了時間: 7分






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