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歴史と旅の記録


吉備路めぐり(総社辺り) ~JAN,2026~
年が明け今年最初の歴史巡りは岡山にしました。広島に住んでいた頃、水島や玉島に出張する機会は有りましたがゆっくり観光をする時間は有りませんでした。山陽道で際立って古代から開けていた当地の事は昔から気になってましたので、わくわくしながら回遊しました。先ずは高いところに上ってみようと、鬼ノ城と呼ばれる古代城塞の頂きに立ってみます。663年白村江の戦いで敗れた大和朝廷は、西日本各地に新羅・高句麗・唐の侵攻に備え幾つか城郭を築きました。百名城ではここと大宰府の大野城、続百名城では同じく大宰府の水城(みずき)、佐賀県の基肄(きい)城、そして対馬の金田城が指定されています。 縄文海進により五千年前から弥生時代までは現在の岡山・倉敷エリアは殆ど海中で、児島半島は独立した島でした。一方内陸の総社地域は当時から陸地で、古代遺跡(巨大古墳、神社、国分寺跡)が集まってます。 早くから開けた地域であり米作の伝来も紀元前6世紀と見られており、記紀や古墳の調査により出雲や北九州エリアに匹敵する有力首長の存在が確認できます。後漢に朝貢(107年)した帥升(すいしょう)が吉
3 日前読了時間: 5分


安房里見氏の痕跡 ~ DEC,2025 ~
里見氏は安房を拠点にした戦国大名として有名で、関ケ原の戦い後、館山を主城とする12万2千石の大名として江戸幕藩体制の中に一度組み込まれました。大坂冬の陣の直前、大久保忠隣の改易に連座し伯耆倉吉3万石へ転封を命ぜられましたが、現地には実質4千石の領地しかなく改易に近い処分でした。藩主里見忠義は3年前に大久保忠隣の孫娘を正室に迎えていました。そもそも安房里見氏は、結城合戦(1441年)に敗れた里見義実が白浜城に本拠地を構え、里見氏再興を目指したのが始まりです。 白浜城址の麓に義実が開基した杖珠院が佇んでいます。文安元年(1444年)開基とありますので、結城合戦から3年後に建てられたことになります。 義実公の墓からは太平洋の海原が見えます。こちらには初代義実・二代成義・三代義通・五代義豊の木像が正保四年(1647年)に造られ置かれているとのこと。何故四代と六代以降が飛ばされてるのか気になりますが、天文三年(1534年)に起こった里見家内部の継嗣争いと関係してるのかもしれません。 里見氏は元々新田義重から分かれた新田氏庶流であり、新田源氏を自称する
2025年12月18日読了時間: 5分


太田道灌の町 越生(おごせ) ~ DEC,2025 ~
太田氏は以仁王と共に平家に対して挙兵した源頼政の末裔(摂津源氏)で、丹波(現京都府亀岡市)に拠点を持ち太田を称しました。その後相模に移り、父の太田資清(道真)の代で扇谷上杉氏の家宰(筆頭家老)として手腕を振るうようになります。扇谷上杉家は関東管領を輩出した山内上杉家の支流で、相模守護に任じられていました。資清(道真)と資長(道灌)は相模に加えて広大かつ肥沃な武蔵全域を扇谷上杉家の傘下に入れ、関東の戦国時代前半における三極(越後・上野を拠点とした山内上杉家、古河公方、そして扇谷上杉家)状態を作りだしました。 龍穏寺には親子(道真・道灌)仲良くお墓が並んでます。太田道灌をNHKの大河ドラマに呼ぼうという組織もあるようで、所々に幟が立ってます。戦国と幕末を扱わないと大河ドラマは盛り上がらないとのジンクスは有るようですが、中世もかなり面白いので是非応援したいです。 一般的には戦国時代は『応仁の乱』(応仁元年/1467年)をもって始まるとされますが、関東では『享徳の乱』(享徳三年/1454年)をもって始まると考えられています。鎌倉幕府は文字通り鎌倉に政府
2025年12月10日読了時間: 5分


赤城山から前橋へ ~DEC,2025~
今年の歴史散策は高崎の古墳詣で始めましたが、近々利根川の対岸の古墳群も見て歩こうと思っているうちに年末となりました。群馬県は西から妙義、榛名、赤城の名山が並びますが、このうち榛名・赤城の間をすり抜けて流れる利根川が縦に分断し、前橋市街に入ると徐々に東進していきます。延喜式でも名神大社として高い格式が規定されている赤城神社は、赤城山頂付近から南の低地にかけて三社が縦に並び鎮座しています。先ずはカルデラ湖畔(大沼)に建つ大洞赤城神社に向かいます。大沼は標高千四百メートルにあり、夏場はリゾート地ですが流石に人影少なく気温は5度でした。 現社殿は昭和四十三年に改築移転されたもので、数百メートル離れた旧社地はそのまま残されています。寛永十九年(1642年)に大老酒井忠清(前橋藩主)が建てた社殿が老朽化し、建て替えは明治期以来の課題だったようです。 現在地(小鳥ヶ島)には室町期の多宝塔が有り、地下からは平安~室町期の鏡や経筒が見つかってます。古くから信仰の場だった事がわかりますが、美しい場所とはいえよくこの高地の山奥を切り開いたものです。 当地は国
2025年12月3日読了時間: 6分


耶馬渓の紅葉見物と宇佐詣で ~NOV,2025~
耶馬渓は山国川の上・中流域に展開する峡谷全般を称し、100万年前に起きた大噴火による大量の火砕流堆積物(溶結凝灰岩)が浸食を受けて多様な顔を見せる景勝地となりました。今回は有名な一目八景(ひとめはっけい)を訪れましたが、無数の墓標の如く立ち並ぶ石柱や断崖の隙間が様々な色の木々で覆われています。 頼山陽は文政元年(1818年)に当地を訪れ、“耶馬渓”と名付けました。流石日本外史を全部漢文で書いた方で、如何にも山水画に出てくるような風景に中国風の名前を付けました。明治に入り父が中津藩士だった福沢諭吉は景観保全の為に、私財で競秀峰の土地を買収しました。国による“名勝”指定は風致景観の優秀な土地を保護する制度であり、大正八年に始まりましたが当地はその四年後に指定されました。 火砕流は阿蘇山の北方にある九重山の近くにあったカルデラから噴出したもので、地図で調べると噴火地点から耶馬渓まで直線で50kmくらい離れてます。この100万年前の大噴火の火山灰は大阪方面でも見つかっているそうで、相当巨大な噴火だった事が想像できます。九州は阿蘇山もそうですし、今尚活
2025年11月22日読了時間: 5分


両国そぞろ歩き ~ NOV.2025 ~
両国には相撲を観る時にしか来たことは無いのですが、大相撲の無い平日を狙って静かな両国界隈を歩いてみました。 11月に入りNHK大河ドラマもラストスパートです。『べらぼう』の主人公蔦谷重三郎は晩年に入り、老中松平定信の失脚後の江戸がこれから描かれていきます。脚本も配役も素晴らしかったですが、とりわけ今注目しているのは葛飾北斎演ずるコメディアンのくっきーです。蔦重は喜多川歌麿を大成させただけではなく、駆け出しの頃の葛飾北斎を滝沢馬琴の本の挿絵を任せ世に出しました。 これから一か月の番組でどれだけ北斎の絡みがあるのかわかりませんが、くっきーの怪演が楽しみです。大江戸線両国駅から伸びる“北斎通り”を300mくらい歩くと、津軽藩上屋敷跡に“すみだ北斎美術館”があります。ちょうど“北斎をめぐる美人画の系譜”と称し特別企画展をしていました。“べらぼう”関連の展示も併設してますが、11月24日までという事でご興味有る方にはお薦めします。北斎は印象派にも影響を与えたと言われてますが、訪問客の8割以上は海外から来られた方々でやはり国際的な人気のようです。 ...
2025年11月12日読了時間: 5分


西伯旅記@米子 ~OCT,2025~
大山は大凡2万年前に噴火をして以来静かで休火山のカテゴリーに入ってます。鳥取県西部に来ると何処からでも拝める名峰ですが、山体は噴火による崩壊や地下からの溶岩ドームにより複雑な形をしており、見る角度で全く異なる姿を見せてくれます。桝水高原から見上げると双子の山のように見えます。 米子城の頂きからは広い裾野を従える堂々としたコニーデ火山のようで、米子の人達は日々この姿を仰いでいます。 ゴルフ場では完全に富士山に見えました。富士山麓のゴルフ場もそうですが、芝目がきつくグリーンの傾斜はわかりづらく、ボールは意図せざるスピードと方向で転がっていきます。前日大神山神社と大山寺にお詣りしましたが、信心が足りなかったのかもしれません。 鳥取県の西部は伯耆の国であり、その中心は広く大山の山域で覆われてます。奈良時代に編まれた出雲国風土記には国引き神話が載せられており、大山と島根県の三瓶山から沖合の細長い島を引っ張り引き寄せたのが島根半島だそうです。弓ヶ浜はその時に引っ張った綱の名残りらしいですが、この有名な砂嘴は強い沿岸流によってもたらされたもので風土記が
2025年11月1日読了時間: 6分


秋の大和路(今年は山の辺の道) ~OCT,2025~
山の辺の道は日本最古の官道と言われており、奈良盆地の東南辺の山際に沿って敷かれてます。ちょっと高台にある理由は、古墳時代に奈良盆地の多くは湿地帯や沼地だった為であり、更に遡れば縄文期は湖だった事によります。道沿いにある古墳や神社は当地がヤマトの国の発祥地であった事を物語っており、紀記の逸話を重ねながら歩くと楽しいです。眼下には大和盆地が拡がり、その先には生駒・金剛の山々が連なります。 今回は卑弥呼の墓ではないかと期待されている箸墓古墳(はしはかこふん)を先ずは訪れました。全長278mの前方後円墳で三世紀半ばから後半の築造と見られています。昨今は発掘された土師器、埴輪の形状、木材から炭素14年代測定法による年代アプローチが盛んであり、前方後円墳の時代別の形状からも築造年代は絞られてきました。 宮内庁は当該墓は第七代孝霊天皇皇女「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」の墓としてますが、日本書紀では彼女の夫は大物主神(おおものぬしのみこと)、即ちヤマト王権に国譲りをした出雲の神様であり、三輪山を神体として大神神社(おおみわじんじゃ
2025年10月17日読了時間: 6分


義仲が育った故地 ~SEP,2025~
長野県南部を縦に走る二つの谷(木曾谷と伊那谷)には西側を木曽川、東側には天竜川が流れてます。前者の源流は鉢盛山、後者のそれは諏訪湖で、水源は直線で30kmにも満たない距離ですが、県南で大きく方向が分かれそれぞれ伊勢湾と遠州灘に向かいます。伊那谷は広々とした河岸段丘による盆地...
2025年10月1日読了時間: 5分


北鎌倉散歩 ~SEP,2025~
東京に居ると鎌倉は近いし何時でも行けるよねと考えがちですが、四十数年ぶりにゆっくり歩いてみました。否、正確に言うと十年前に坂東観音霊場巡りで御朱印を貰いに通り過ぎた事が有りましたが、社会人の貴重な休日を使い一部の寺社を車で動いただけなので、中世日本の歴史的故地を訪ね歩くとい...
2025年9月27日読了時間: 6分


多賀城とは ~SEP,2025~
多賀城は奈良時代初期(神亀元年、724年)に造られた行政府であり、軍の駐屯地(鎮守府)でもありました。900m四方の敷地は高さ5mの塀に覆われ、3つの門から出入りできましたが、南門が復元されています。 東北地方を統べる政都と軍都を兼ねる点、これまで見てきた古代の国府跡とは...
2025年9月18日読了時間: 5分


伏見回遊 ~ SEP,2025 ~
伏見は京都盆地の中でも最も低い場所で、京都市内を流れる桂川と鴨川、琵琶湖から流れる宇治川の合流地点に在ります。三川はその後淀川となり大阪湾に流れこみますが、物流拠点の要衝であり、京都盆地の軟水伏流水が大量に出てくる場所として酒造業も栄えました。当地も何から見ようか迷うエリア...
2025年9月13日読了時間: 6分


浅間神社 河口湖から御殿場へ ~ SEP,2025 ~
浅間は旧くは“あさま”、中世くらいから“せんげん”と呼ぶようになった火山を意味する古語であり、富士山信仰とも相俟って浅間神社は富士山の周りに数多く有ります。9月に入っても酷暑が続いており、避暑も兼ねてどういう神社が並んでいるのか回遊してみました。先ずは大石公園に行き、河口湖...
2025年9月3日読了時間: 5分


安曇野と千国街道 ~ AUG,2025 ~
糸魚川から南下し白馬・大町へと続く道は“塩の道”と呼ばれ、古くから塩や海産物が運ばれていました。松本藩は番所を設けて運上税を取っていましたが、資料館には山道を辿って塩を運ぶ人の銅像が建ってました。上杉謙信が武田信玄に塩を送ったのもこのルートだったようですが、有料だったのか無...
2025年8月30日読了時間: 4分


和人の蝦夷支配 松前 ~AUG, 2025~
蝦夷地(北海道)唯一の幕藩体制下の大名である松前氏は、元々蠣崎氏と名乗っていましたが豊臣秀吉が亡くなり、いち早く徳川家康に臣従を誓い松前に改姓しました。アイヌ語由来とも松平と前田から取ったとも言われてますが、辺境の地に在りながら政変期における判断力は正しく、戊辰戦争に於いて...
2025年8月10日読了時間: 5分


越中の古代史(前方後方墳と万葉の里) ~AUG,2025~
古代の越中国府は今の富山県西部、高岡市伏木に在りました。近くには雨晴海岸があり、地理的には富山湾の西側に寄っている為能登半島が近くに見え、富山湾と立山連峰の眺望が有名です。 大和朝廷は律令体制の整備の過程で“越(古志)”のくにを3つに分け(越前・越中・越後)ましたが、国境...
2025年8月4日読了時間: 5分


芭蕉が歩いた庄内 ~JUL,2025~
前回「奥の近道」と称し、芭蕉の足跡を追い東北を回遊したのは十年前になります。まだ大震災の爪痕が残る中、平泉や松島を訪れた記憶は新しいのですが十年という時間の重みは、次の十年を如何に大切に生きるべきなのか多くの示唆を与えてくれます。前回は時間切れとなり尾花沢から帰京致しました...
2025年7月26日読了時間: 6分


お伊勢参り ~JUL,2025~
日本史が好きだと言いながら、伊勢神宮にきちんと詣でた事が無い事にどこか引け目を感じて居りました。大きな神社は過去沢山訪れてきましたが、別格の風格とパワーを感じる一方、古代史の深い謎の森の中に足を踏み入れたような気がします。英虞湾の宿を拠点に回りましたが、松阪牛・伊勢海老・伊勢うどんには大変活力を頂きました。伊勢志摩とよく一括りで呼ばれますが風光明媚な景色と美食に溺れつつ、恐れ多くも天照大御神がこちらに落ち着かれた神意につきよく理解できたような気がします。 神域に入る前に松阪で高速を降り、国学の四大人と呼ばれる本居宣長に挨拶をさせて頂きました。松阪城内には明治期に移された旧宅と資料館があります。NHK大河ドラマ『べらぼう』の蔦谷重三郎は同じ時代に生きており、彼は宣長の本を取り扱わせてもらえる様松阪に相談に来ていました。ドラマのストーリーはそろそろ田沼の失脚と、白河へ追いやられた松平定信の老中就任、即ち「寛政の改革」へと進むと思いますが、蔦重の「耕書堂」がどう業容転換をしていくのか森下さんの脚本は楽しみですね。さて本居宣長は出演するのか、その場合誰
2025年7月12日読了時間: 5分


古代を駆け巡る 吉野ヶ里と佐賀 ~ JUL,2025 ~
梅雨空を心配しつつ佐賀へのチケットや宿の手配をしてましたが、いつの間にか空梅雨は明けて杞憂に終わりました。連日38度超の炎天下、吉野ヶ里遺跡を皮切りに佐賀平野を彷徨いましたがここは古代・中世・近代・近世の痕跡が幾重にも重なる日本史オタクには垂涎の地です。夜は夜で佐賀牛と呼子...
2025年7月5日読了時間: 6分


生き延びた房総平氏 相馬 ~ JUN,2025 ~
原町(現南相馬市)にある相馬太田神社は、相馬重胤が鎌倉末期、守谷城(現茨城県守谷市)から一族郎党を引き連れ移住した際に建てられました。現在の福島県相馬地域は元々源頼朝により奥州討伐の論功で千葉常胤に与えられたもので、常胤の次男で下総国相馬郡を領する相馬師常がこれを引き継ぎま...
2025年6月22日読了時間: 5分
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