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歴史と旅の記録


耶馬渓の紅葉見物と宇佐詣で ~NOV,2025~
耶馬渓は山国川の上・中流域に展開する峡谷全般を称し、100万年前に起きた大噴火による大量の火砕流堆積物(溶結凝灰岩)が浸食を受けて多様な顔を見せる景勝地となりました。今回は有名な一目八景(ひとめはっけい)を訪れましたが、無数の墓標の如く立ち並ぶ石柱や断崖の隙間が様々な色の木々で覆われています。 頼山陽は文政元年(1818年)に当地を訪れ、“耶馬渓”と名付けました。流石日本外史を全部漢文で書いた方で、如何にも山水画に出てくるような風景に中国風の名前を付けました。明治に入り父が中津藩士だった福沢諭吉は景観保全の為に、私財で競秀峰の土地を買収しました。国による“名勝”指定は風致景観の優秀な土地を保護する制度であり、大正八年に始まりましたが当地はその四年後に指定されました。 火砕流は阿蘇山の北方にある九重山の近くにあったカルデラから噴出したもので、地図で調べると噴火地点から耶馬渓まで直線で50kmくらい離れてます。この100万年前の大噴火の火山灰は大阪方面でも見つかっているそうで、相当巨大な噴火だった事が想像できます。九州は阿蘇山もそうですし、今尚活
6 日前読了時間: 5分


両国そぞろ歩き ~ NOV.2025 ~
両国には相撲を観る時にしか来たことは無いのですが、大相撲の無い平日を狙って静かな両国界隈を歩いてみました。 11月に入りNHK大河ドラマもラストスパートです。『べらぼう』の主人公蔦谷重三郎は晩年に入り、老中松平定信の失脚後の江戸がこれから描かれていきます。脚本も配役も素晴らしかったですが、とりわけ今注目しているのは葛飾北斎演ずるコメディアンのくっきーです。蔦重は喜多川歌麿を大成させただけではなく、駆け出しの頃の葛飾北斎を滝沢馬琴の本の挿絵を任せ世に出しました。 これから一か月の番組でどれだけ北斎の絡みがあるのかわかりませんが、くっきーの怪演が楽しみです。大江戸線両国駅から伸びる“北斎通り”を300mくらい歩くと、津軽藩上屋敷跡に“すみだ北斎美術館”があります。ちょうど“北斎をめぐる美人画の系譜”と称し特別企画展をしていました。“べらぼう”関連の展示も併設してますが、11月24日までという事でご興味有る方にはお薦めします。北斎は印象派にも影響を与えたと言われてますが、訪問客の8割以上は海外から来られた方々でやはり国際的な人気のようです。 ...
11月12日読了時間: 5分


西伯旅記@米子 ~OCT,2025~
大山は大凡2万年前に噴火をして以来静かで休火山のカテゴリーに入ってます。鳥取県西部に来ると何処からでも拝める名峰ですが、山体は噴火による崩壊や地下からの溶岩ドームにより複雑な形をしており、見る角度で全く異なる姿を見せてくれます。桝水高原から見上げると双子の山のように見えます。 米子城の頂きからは広い裾野を従える堂々としたコニーデ火山のようで、米子の人達は日々この姿を仰いでいます。 ゴルフ場では完全に富士山に見えました。富士山麓のゴルフ場もそうですが、芝目がきつくグリーンの傾斜はわかりづらく、ボールは意図せざるスピードと方向で転がっていきます。前日大神山神社と大山寺にお詣りしましたが、信心が足りなかったのかもしれません。 鳥取県の西部は伯耆の国であり、その中心は広く大山の山域で覆われてます。奈良時代に編まれた出雲国風土記には国引き神話が載せられており、大山と島根県の三瓶山から沖合の細長い島を引っ張り引き寄せたのが島根半島だそうです。弓ヶ浜はその時に引っ張った綱の名残りらしいですが、この有名な砂嘴は強い沿岸流によってもたらされたもので風土記が
11月1日読了時間: 6分


秋の大和路(今年は山の辺の道) ~OCT,2025~
山の辺の道は日本最古の官道と言われており、奈良盆地の東南辺の山際に沿って敷かれてます。ちょっと高台にある理由は、古墳時代に奈良盆地の多くは湿地帯や沼地だった為であり、更に遡れば縄文期は湖だった事によります。道沿いにある古墳や神社は当地がヤマトの国の発祥地であった事を物語っており、紀記の逸話を重ねながら歩くと楽しいです。眼下には大和盆地が拡がり、その先には生駒・金剛の山々が連なります。 今回は卑弥呼の墓ではないかと期待されている箸墓古墳(はしはかこふん)を先ずは訪れました。全長278mの前方後円墳で三世紀半ばから後半の築造と見られています。昨今は発掘された土師器、埴輪の形状、木材から炭素14年代測定法による年代アプローチが盛んであり、前方後円墳の時代別の形状からも築造年代は絞られてきました。 宮内庁は当該墓は第七代孝霊天皇皇女「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」の墓としてますが、日本書紀では彼女の夫は大物主神(おおものぬしのみこと)、即ちヤマト王権に国譲りをした出雲の神様であり、三輪山を神体として大神神社(おおみわじんじゃ
10月17日読了時間: 6分


義仲が育った故地 ~SEP,2025~
長野県南部を縦に走る二つの谷(木曾谷と伊那谷)には西側を木曽川、東側には天竜川が流れてます。前者の源流は鉢盛山、後者のそれは諏訪湖で、水源は直線で30kmにも満たない距離ですが、県南で大きく方向が分かれそれぞれ伊勢湾と遠州灘に向かいます。伊那谷は広々とした河岸段丘による盆地...
10月1日読了時間: 5分


北鎌倉散歩 ~SEP,2025~
東京に居ると鎌倉は近いし何時でも行けるよねと考えがちですが、四十数年ぶりにゆっくり歩いてみました。否、正確に言うと十年前に坂東観音霊場巡りで御朱印を貰いに通り過ぎた事が有りましたが、社会人の貴重な休日を使い一部の寺社を車で動いただけなので、中世日本の歴史的故地を訪ね歩くとい...
9月27日読了時間: 6分


多賀城とは ~SEP,2025~
多賀城は奈良時代初期(神亀元年、724年)に造られた行政府であり、軍の駐屯地(鎮守府)でもありました。900m四方の敷地は高さ5mの塀に覆われ、3つの門から出入りできましたが、南門が復元されています。 東北地方を統べる政都と軍都を兼ねる点、これまで見てきた古代の国府跡とは...
9月18日読了時間: 5分


伏見回遊 ~ SEP,2025 ~
伏見は京都盆地の中でも最も低い場所で、京都市内を流れる桂川と鴨川、琵琶湖から流れる宇治川の合流地点に在ります。三川はその後淀川となり大阪湾に流れこみますが、物流拠点の要衝であり、京都盆地の軟水伏流水が大量に出てくる場所として酒造業も栄えました。当地も何から見ようか迷うエリア...
9月13日読了時間: 6分


浅間神社 河口湖から御殿場へ ~ SEP,2025 ~
浅間は旧くは“あさま”、中世くらいから“せんげん”と呼ぶようになった火山を意味する古語であり、富士山信仰とも相俟って浅間神社は富士山の周りに数多く有ります。9月に入っても酷暑が続いており、避暑も兼ねてどういう神社が並んでいるのか回遊してみました。先ずは大石公園に行き、河口湖...
9月3日読了時間: 5分


安曇野と千国街道 ~ AUG,2025 ~
糸魚川から南下し白馬・大町へと続く道は“塩の道”と呼ばれ、古くから塩や海産物が運ばれていました。松本藩は番所を設けて運上税を取っていましたが、資料館には山道を辿って塩を運ぶ人の銅像が建ってました。上杉謙信が武田信玄に塩を送ったのもこのルートだったようですが、有料だったのか無...
8月30日読了時間: 4分


和人の蝦夷支配 松前 ~AUG, 2025~
蝦夷地(北海道)唯一の幕藩体制下の大名である松前氏は、元々蠣崎氏と名乗っていましたが豊臣秀吉が亡くなり、いち早く徳川家康に臣従を誓い松前に改姓しました。アイヌ語由来とも松平と前田から取ったとも言われてますが、辺境の地に在りながら政変期における判断力は正しく、戊辰戦争に於いて...
8月10日読了時間: 5分


越中の古代史(前方後方墳と万葉の里) ~AUG,2025~
古代の越中国府は今の富山県西部、高岡市伏木に在りました。近くには雨晴海岸があり、地理的には富山湾の西側に寄っている為能登半島が近くに見え、富山湾と立山連峰の眺望が有名です。 大和朝廷は律令体制の整備の過程で“越(古志)”のくにを3つに分け(越前・越中・越後)ましたが、国境...
8月4日読了時間: 5分


芭蕉が歩いた庄内 ~JUL,2025~
前回「奥の近道」と称し、芭蕉の足跡を追い東北を回遊したのは十年前になります。まだ大震災の爪痕が残る中、平泉や松島を訪れた記憶は新しいのですが十年という時間の重みは、次の十年を如何に大切に生きるべきなのか多くの示唆を与えてくれます。前回は時間切れとなり尾花沢から帰京致しました...
7月26日読了時間: 6分


お伊勢参り ~JUL,2025~
日本史が好きだと言いながら、伊勢神宮にきちんと詣でた事が無い事にどこか引け目を感じて居りました。大きな神社は過去沢山訪れてきましたが、別格の風格とパワーを感じる一方、古代史の深い謎の森の中に足を踏み入れたような気がします。英虞湾の宿を拠点に回りましたが、松阪牛・伊勢海老・伊...
7月12日読了時間: 5分


古代を駆け巡る 吉野ヶ里と佐賀 ~ JUL,2025 ~
梅雨空を心配しつつ佐賀へのチケットや宿の手配をしてましたが、いつの間にか空梅雨は明けて杞憂に終わりました。連日38度超の炎天下、吉野ヶ里遺跡を皮切りに佐賀平野を彷徨いましたがここは古代・中世・近代・近世の痕跡が幾重にも重なる日本史オタクには垂涎の地です。夜は夜で佐賀牛と呼子...
7月5日読了時間: 6分


生き延びた房総平氏 相馬 ~ JUN,2025 ~
原町(現南相馬市)にある相馬太田神社は、相馬重胤が鎌倉末期、守谷城(現茨城県守谷市)から一族郎党を引き連れ移住した際に建てられました。現在の福島県相馬地域は元々源頼朝により奥州討伐の論功で千葉常胤に与えられたもので、常胤の次男で下総国相馬郡を領する相馬師常がこれを引き継ぎま...
6月22日読了時間: 5分


流刑の島 佐渡 ~JUN,2025~
佐渡は855㎢、オアフ島の6割、東京都23区の3割増の面積に、47千人が住んでます。オアフ島には90万人、東京都23区には1千万人が居ますのでかなり人口密度は低いですが、かつて三郡で構成される“国”でした。国衙跡地は未だ特定できていませんが、その一部と思われる遺構が見つかっ...
6月16日読了時間: 6分


遠山氏の故地・恵那 ~ JUN,2025 ~
苗木城は日本一の山城と称され、苗木藩遠山氏1万石余の居城でした。1万石程度の経済力で城を維持する事は難しいですが、城主は苗木遠山氏、遡れば源頼朝による論功行賞で恵那郡遠山庄の地頭に赴任した名門の末裔であり、父祖から受け継いだ城を後世に伝えました。鎌倉幕府により全国に派遣され...
6月7日読了時間: 5分


阿波の足利将軍 ~ MAY,2025 ~
親族の結婚式に呼ばれ徳島に初めて来ました。阿波の国は歴史おたくの人間にとっては垂涎の地ですが、会社員時代には残念ながら出張機会は有りませんでした。ロープウェイで眉山に登り、淡路島方向を眺めると徳島城を擁する小ぶりな山と大河「吉野川」が横たわります。四国に何故こんな大きな川が...
5月19日読了時間: 4分


近江八幡の三名城 ~ MAY,2025 ~
豊臣秀次が築城した八幡山城からは琵琶湖東岸方向に観音寺城と安土城が見えます。直線で安土城まで5~6km、観音寺城まで7~8kmの距離でまさに指呼の間に在ります。お城ファンにとっては天下の名城を効率よく回れるだけではなく、古代・中世・近世の時間の流れをいきいきと感じられる町で...
5月10日読了時間: 4分
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