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歴史と旅の記録


戦国公卿サバイバル寄宿作戦 ~ 大内氏、今川氏他
別稿で自家荘園に土着し、戦国大名化した公家の話を書きましたが、有力大名を頼り地方に落ち延びていく公家も多くいました。公家にはそれぞれ家格があり、それぞれ最高どこまでの官職につけられるか原則が決められてましたが、筆頭は摂政・関白に任ぜられる摂関家、次のレイヤーが太政大臣まで出...
2024年1月4日読了時間: 2分


長寿の家系 藤原彰子、藤原寛子と四条貞子
摂政関白になる為には、天皇の外戚になる事、即ち娘を入台させて次期天皇を産んで貰う必要がありました。一条天皇は幼年で即位(986)し藤原兼家が摂政となりましたが、彼には正室から生まれた息子が3人居り(道隆・道兼・道長)、それらが後継者候補になります。...
2024年1月2日読了時間: 3分


20代を部屋住みで過ごして後、家督を継ぎ世に出る話 ~ 水戸斉昭と井伊直弼
明治維新前夜、攘夷・開国論のそれぞれ旗頭として激しく対立した二人は、何れも長く部屋住みの時代を過ごし、兄の死により表舞台に立つことになりました。部屋住みとは、養子にも行けず少禄をもらいながら万一に備えて囲われている跡取りのスペアのことを言いますが、いつ順番が回ってくるとの保...
2023年12月26日読了時間: 3分


土着する公家 ~ 西園寺氏と一条氏
応仁の乱以降、所謂戦国時代が到来し荘園からの収入が途絶えた事で自家の領地に赴き土着したのが一条氏と西園寺氏ですが、奇しくも土佐国の西、伊予国の南を拠点とし隣接してました。 前者は摂関家、後者はワンランク下の清華家という家格で、何れも公卿の中でも大臣級以上を務める家柄ですが戦...
2023年12月24日読了時間: 3分


跡取りを事故で失う~ 四条天皇とイワン
後堀河天皇は一人息子秀仁親王(四条天皇)を僅か1歳で即位させましたが、四条天皇は11歳の時に御所の廊下で滑り頭を打って亡くなられました。彼は近習・女房達に悪戯を仕掛けようとして滑石を廊下に並べて遊んでいましたが、自分が転んでしまいました。...
2023年12月18日読了時間: 2分


妻とは別れず~細川忠隆と滋野井公賢
結婚相手が家や親の思惑で為されいた時代でも、どうしても別れない夫婦が居ました。 細川忠興は関ケ原の前夜上杉討伐に赴くにあたり、妻ガラシャに対して三成方から人質として拉致されるような事態になった場合には死を選ぶよう伝え、彼女はその通り実行しました。...
2023年12月14日読了時間: 3分


もう一つの赤穂浪士事件
入社したのはバブルの最盛期で毎日様々な宴席が有りましたが、その頃十八番で歌っていた歌の一つがかの名曲、刃傷松の廊下(真山一郎)でした。背広を脱いでネクタイを外し、革靴をひっくり返して頭に載せてネクタイで結びつけると(酔った状態では)烏帽子姿に見えます。...
2023年12月10日読了時間: 3分


道鏡は悪人だったのか
栃木県に下野薬師寺と呼ばれる古代寺院跡があります。第46代孝謙天皇(重祚し称徳天皇)崩御後、道鏡は造下野薬師寺別当として左遷されこの地で没しました。 天武天皇の後、皇位は天武系で継承されていきますが、聖武天皇は男子後継者に恵まれず娘の孝謙女帝が即位しました。我が国は女系天皇...
2023年12月3日読了時間: 2分


東から西に転勤した島津と毛利、西から東に転勤した伊勢宗瑞
戦国大名の雄として名を馳せた家は成り上がり系が多いですが、鎌倉幕府の名門御家人、室町幕府の官僚が転勤し、国人化したケースも多いです。下剋上の世の中になったとはいえ、名族も成り上がった家も引き続き朝廷の権威を利用するべく官位を頂き氏(源平藤橘)を名乗り、時には家系図をいじり自...
2023年12月3日読了時間: 4分


嫁いだ先でしっかり根を張る話
日本の婚姻制度は幾度変遷してきたらしく、ものの本によると、ツマドイ→ムコトリ→ヨメイリで推移したそうです。ムコトリとは即ち別居から同居への移行、ヨメイリは更に同居先が女房宅から亭主宅に移るわけですが、平安から鎌倉にかけて丁度貴族社会から武家社会への転換期に起こったようです。...
2023年12月3日読了時間: 4分


どちらが本当の義光だろうか
東名大井松田を降り県境に向けて山道を走ると足柄峠に辿り着きます。周辺部は万葉公園という散策路もあるようですが、私は峠にある足柄城から見える富士山が好きで晴れた日を狙い偶に訪れます。この当たりは旧い官道で、千年前は東海道を往来する人々で賑わった事でしょう。...
2023年12月3日読了時間: 2分


家康が取り込んだ武田の遺産
家康には相当強い武田への憧れが有ったのではないかと思います。本能寺の変の後天正壬午の乱以降、徳川・北条・上杉間の武田遺産争奪戦の中では領土だけでなく人材も慎重かつしっかり取り込みました。 家康五男の信吉の母親は武田一門の秋山氏の娘であり、早逝した穴山勝千代(武田信治)の養子...
2023年12月3日読了時間: 3分


足利将軍家末裔の処遇
秀吉は下野喜連川(栃木県)に領地を与え、鎌倉公方由来の足利家の存続を許しましたが、徳川家はこれを引き継いで領地は5千石ですが、10万石格式の家として遇し、明治維新に至りました。 因みに最後の藩主喜連川縄氏は、維新後“足利”に復姓しますが、実父は水戸藩徳川斉昭公です。...
2023年12月3日読了時間: 3分


興国寺城を退去した天野康景、権田村に退いた小栗忠順
興国寺城は北条早雲が世に出た城として有名です。続日本100名城で訪れた城好きも多いでしょうが私もその一人です。 ここではもう一人の興国寺城主、天野康景を取り上げます。康景は幼い頃から一貫して家康に仕え、三河一向一揆の時も家康を支えましたが晩年興国寺藩1万石の領主の座を捨てて...
2023年12月3日読了時間: 3分


歌詠みの三角関係
額田王と二人の天皇(天智・天武)との関係が日本史上最古の三角関係らしいです。額田王は大海人皇子(天武天皇)と一女(十市皇女)を成した後、天智天皇に乞われてその閨に入ったとされています。有名な2人のやり取り”あかねさす”から始まる歌とその返歌は、天智天皇の妃になった後もお互い...
2023年12月1日読了時間: 4分


近親婚と万世一系
スペインフプスブルグ家が過度の近親婚で子孫が潰え、18世紀初頭にフランスブルボン家に王位が移った話は有名ですが、血統の純度を守る事と安定して子孫を残していく事は両立し難く、日本の天皇家が千数百年に渡り男系承継してきた事は奇跡的な事だと言えるでしょう。...
2023年12月1日読了時間: 3分


戦場で敵将の子供を預かる話
大坂夏の陣、真田幸村は最後の戦いの前に愛息・娘を敵方伊達政宗の先鋒片倉小十郎重長に預けました。これまでの戦闘を通じて重長の人となりを理解し、これに賭けてみました。徳川家に万一知られれば、少なくとも息子(大八2歳)は斬られる事必定の中、伊達政宗も片倉重長も頼られれば意気に感ず...
2023年12月1日読了時間: 2分


大泉寺と恵林寺
武田信虎は信玄の父であり、混乱する甲斐を統一し、後の信州侵攻の基盤を作った名将でした。娘を今川義元に嫁がせていましたが、1541年に義元に会いに駿府へ赴いた際に信玄により国境は封鎖され、駿府での隠居生活を余儀なくされました。もっとも駿河では当主の舅殿として厚遇され、甲府から...
2023年12月1日読了時間: 2分


長幼の序と黄門様
水戸黄門の放映が終了して久しいですね。放送開始は昭和44年だそうで40年以上も続いた長寿番組ですが、日本人の多く・・・特に当時のお父さん達は月曜の晩酌の御供で同番組を観て、印籠を出すシーンで溜飲を下げてました。週の始めは静かに勧善懲悪を楽しむのがいいと思いますがリメイク再開...
2023年12月1日読了時間: 2分


源義国の両息
関東に土着した源氏といえば八幡太郎義家の弟義光由来の常陸源氏(佐竹、武田)と、その息子義国の両息(新田義重、足利義康)が有名です。義国の子孫は足利、徳川(出自は怪しいながら新田源氏)の2将軍家を出し、室町―江戸の日本の政治史の中心であり続けました。源氏というと親子・兄弟間の...
2023年12月1日読了時間: 3分
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