top of page
歴史と旅の記録


南部の故郷 ~OCT,2024~
南アルプス北端の鋸岳を水源として西北から流れ込む釜無川と甲武信ヶ岳を水源として東北から流れ込む笛吹川は、甲府盆地南東で合流し富士川となり駿河湾に注ぎます。盛岡藩主南部家の故地はこの山梨県内富士川地域(現身延町、南部町)に相当します。家祖南部光行は甲斐武田氏の一族として頼朝に...
2024年10月23日読了時間: 4分


長岡京 ~OCT,2024~
そもそも平城京は永遠の都として築かれた筈ですが、桓武天皇は74年後に長岡京、その10年後に平安京に遷都しました。僅か10年でしたが本格的な造成だったようで住宅街の中で出てきた大極殿の跡地にしばし佇んでみました。 “あをによし”花の都の奈良時代は、皇位継承とそれらを擁立す...
2024年10月20日読了時間: 5分


柴又 ~ OCT,2024 ~
正倉院文書は東大寺正倉院で保管されているものですが、帳簿で使われていた紙の裏側には廃棄された古代の戸籍が書いてありました。 下総国葛飾郡大嶋郷戸籍と呼ばれるものですが、大嶋郷は現在の葛飾区・江戸川区近辺に比定されています。柴又はそこでは、『嶋俣里(しままたのり)』と書かれて...
2024年10月3日読了時間: 5分


道東走破 ~ sep,2024 ~
日本百名城のスタンプを集めている方は結構多いと思いますが、本州に住む人にとって北海道と沖縄は容易に行けません。沖縄は昨年五つの城を巡り、スタンプを確保して悦に入ってましたが、最大の難関は北海道東端、“根室半島チャシ跡群”というアイヌの複数の砦跡で根室半島に多く点在しています...
2024年9月24日読了時間: 4分


調布 ~ SEP,2024
調布の名前は律令制下での税制度、租庸調からきてます。調は繊維製品や地域の特産品を対象に課税されたものですが、ここでは布で納めていたので調布となったようです。南には多摩川という大河が流れており常に氾濫リスクに晒されてきましたが、文明年間(1469-1487)に起こった氾濫は古...
2024年9月18日読了時間: 3分


山代で湯治 ~ 2024年9月~
高校の同窓会に絡めて両親を山代温泉に連れて行きました。昨年は和倉に行きましたが年初の能登地震の爪痕は大きく、未だ殆どの旅館は再開の目途がたっていません。仕事でこれまで定期的に福島県浜通りを訪問してきたので、復興の過程を見聞きする機会もそれなりに有りました。過疎地域の災害はた...
2024年9月9日読了時間: 5分


深谷といえば ~ AUG,2024
深谷といえばねぎと新一万円札の渋沢栄一翁です。“晴天を衝け”が大河ドラマで放映されたのは既に3年前になりますが、今回高額紙幣での登用となり翁の名声は未だ絶大です。栄一の故郷は血洗島(ちあらいじま)というおどろおどろしい名前になりますが、由来ははっきりわかっていない様です。こ...
2024年8月29日読了時間: 5分


今年も沖縄 ~ 2024,AUG
昨年のお盆weekは沖縄に5つある百名城・続百名城を駆け巡りましたが、今年はどうしようか余り頭の整理もせず北端の辺戸岬に参りました。宿を取った名護の近辺から北へ60km程度車で走り向かいます。岬からは25km離れた与論島が薄っすらと見えます。ここから鹿児島まで5~600km...
2024年8月18日読了時間: 3分


酷暑の浜松 ~2024年7月
京に近い琵琶湖を擁する国が近江、遠い浜名湖を抱く静岡県西部は遠江(とおとうみ)と呼ばれていました。浜名湖は元々琵琶湖同様淡水湖でしたが、明応七年(1498)の大地震で太平洋と湖を隔てていた砂州が崩壊した結果、海水と淡水が混ざる汽水湖となりました。“500年以上前”に決壊した...
2024年8月1日読了時間: 5分


津軽回遊 JUL,2024
予てから三内丸山遺跡に行きたいと思ってましたが、東京から青森に行く移動オプションは新幹線、飛行機、車と色々有り、中でも空港は青森空港も有るし大館能代空港も有ります。十和田湖に行った事が無かったので、大館側から北上し同湖を目指す事としました。十和田湖は地図上で見るだけでもわか...
2024年7月16日読了時間: 6分


中世を感じる寺詣で ~ 龍興寺(加須市)・甘棠院(久喜市)・喜多院(川越市)
鎌倉時代、足利氏の歴代当主は通常北条氏から嫁をもらいその子を嫡子としてました。次男だった尊氏は長兄高義が21歳で早逝した為偶々当主となりましたが、嫁は北条氏一族から嫁いだ赤橋登子(最後の執権北条守時の妹)、母親は上杉氏(藤原北家勧修寺流)でした。尊氏の覇業を支え、後に観応の...
2024年7月7日読了時間: 3分


江戸城に最も近い城下町 ~ 岩槻 JUL,2024
旧岩槻市は2005年にさいたま市(浦和・大宮・与野市が2001年に合併済)に併合され、現在さいたま市岩槻区となっています。明治維新後の廃藩置県以降、旧国の代わりに設定された都道府県名の多くは旧郡名が採用されてますが、さいたま市の中で旧埼玉郡に属するのは岩槻区だけで、その他は...
2024年7月4日読了時間: 3分


日本遺産に指定された塩田平 ~JUN,2024
別稿で書きました当地の国宝の二塔(安楽寺八角三重塔と大宝寺三重塔)を訪れたのは9年前になります。その間この辺りの神社仏閣旧跡は日本遺産に指定され、確実に観光地化が進められているようです。上田市には信濃国分寺とその跡地が在り、主要官道である東山道が敷かれ、科野国造の本拠があっ...
2024年6月24日読了時間: 4分


佐久平の五稜郭 JUN,2024
五稜郭というと函館ですが、長野県佐久市にも小さな五稜郭があります。 小諸から小海線に沿って30分程車を走らせると佐久市田口という地域に入ります。信濃は江戸期には天領と幾つかの小藩に分かれていましたが、当地には大給松平家の分家1万6千石の内1万2千石の領地が有りました。当主松...
2024年6月19日読了時間: 3分


武蔵国衙あたり ~ 国分寺・府中 JUN,2024
ご近所ツアーで訪れた事は過去有ったものの、改めて見所を縦断してみました。旧国の配置は七世紀後半の検討作業を経て大宝律令の頃八世紀初頭に略確定されましたが、武蔵国には703年(大宝三年)に国司が派遣された事が初見されます(続日本紀)。間もなく平城京に都が移り、半世紀後には聖武...
2024年6月4日読了時間: 3分


毛利両川 MAY,2024
元就は1557年(弘治三年)に『三子教訓状』を息子達(隆元、元春、隆景)に贈り、兄弟が結束して毛利家を盛り立てていく事を諭しました。厳島の戦いの二年後であり、安芸に加え大内領を取り込んだところで、その後尼子と本格的に対峙していく事になります。...
2024年5月27日読了時間: 5分


南朝の故地を訪ねる ~ 吉野 MAY,2024
後醍醐天皇は毀誉褒貶の人で様々な見方が有りますが、少なくとも倒幕と天皇親政については揺るがない強い使命感と信念を持たれていたと思います。兄の後二条天皇が早逝し偶然巡ってきた皇位であり、父の後宇多院は後二条天皇の息子(邦良親王)が成人するまでの中継ぎとして彼を指名しました。当...
2024年5月20日読了時間: 4分


下越の城下町 ~ 村上と新発田 MAY,2024
新潟に行く機会あり、更に新発田・村上と下越エリアの城下町を周遊しました。何れも近年の百名城ブームもこれあり、城下町を梃子とした観光地化に向け試行錯誤されているようです。新発田というと大倉喜八郎と赤穂藩に養子に出た四十八士の堀部安兵衛、村上というと上杉軍団の猛将本庄繁長と雅子...
2024年5月12日読了時間: 4分


江北を彷徨う ~ 彦主人王(ひこうしのおう)御陵 APR,2024
名神高速を西に走らせると途中下車したくなる旧跡が数多く現れます。関ケ原を越えて近江に入ると米原で分岐し、南に下ると豊饒な近江平野が拡がり神社・城郭・仏閣が目白押しであり、北に北陸道を進むと彦根城を皮切りに小谷城、姉川・賤ケ岳古戦場が並んでます。ぽつんと浮かぶ竹生島を拝みなが...
2024年5月3日読了時間: 4分


武相荘と柳澤荘 APR.2024
近いけれどなかなか行く機会が無い穴場は数多く有りますが、戦後日本の復興を担った偉人のお二人のお住まいをお邪魔しました。 武相荘は白洲次郎・正子ご夫妻の旧宅ですが、太平洋戦争前夜の昭和十五年(1940)に現在の町田市能ヶ谷で農家を購入し、亡くなられるまで居住されました。...
2024年4月26日読了時間: 4分
bottom of page