top of page
歴史と旅の記録


伏見回遊 ~ SEP,2025 ~
伏見は京都盆地の中でも最も低い場所で、京都市内を流れる桂川と鴨川、琵琶湖から流れる宇治川の合流地点に在ります。三川はその後淀川となり大阪湾に流れこみますが、物流拠点の要衝であり、京都盆地の軟水伏流水が大量に出てくる場所として酒造業も栄えました。当地も何から見ようか迷うエリア...
2025年9月13日読了時間: 6分


浅間神社 河口湖から御殿場へ ~ SEP,2025 ~
浅間は旧くは“あさま”、中世くらいから“せんげん”と呼ぶようになった火山を意味する古語であり、富士山信仰とも相俟って浅間神社は富士山の周りに数多く有ります。9月に入っても酷暑が続いており、避暑も兼ねてどういう神社が並んでいるのか回遊してみました。先ずは大石公園に行き、河口湖...
2025年9月3日読了時間: 5分


安曇野と千国街道 ~ AUG,2025 ~
糸魚川から南下し白馬・大町へと続く道は“塩の道”と呼ばれ、古くから塩や海産物が運ばれていました。松本藩は番所を設けて運上税を取っていましたが、資料館には山道を辿って塩を運ぶ人の銅像が建ってました。上杉謙信が武田信玄に塩を送ったのもこのルートだったようですが、有料だったのか無...
2025年8月30日読了時間: 4分


和人の蝦夷支配 松前 ~AUG, 2025~
蝦夷地(北海道)唯一の幕藩体制下の大名である松前氏は、元々蠣崎氏と名乗っていましたが豊臣秀吉が亡くなり、いち早く徳川家康に臣従を誓い松前に改姓しました。アイヌ語由来とも松平と前田から取ったとも言われてますが、辺境の地に在りながら政変期における判断力は正しく、戊辰戦争に於いて...
2025年8月10日読了時間: 5分


越中の古代史(前方後方墳と万葉の里) ~AUG,2025~
古代の越中国府は今の富山県西部、高岡市伏木に在りました。近くには雨晴海岸があり、地理的には富山湾の西側に寄っている為能登半島が近くに見え、富山湾と立山連峰の眺望が有名です。 大和朝廷は律令体制の整備の過程で“越(古志)”のくにを3つに分け(越前・越中・越後)ましたが、国境...
2025年8月4日読了時間: 5分


芭蕉が歩いた庄内 ~JUL,2025~
前回「奥の近道」と称し、芭蕉の足跡を追い東北を回遊したのは十年前になります。まだ大震災の爪痕が残る中、平泉や松島を訪れた記憶は新しいのですが十年という時間の重みは、次の十年を如何に大切に生きるべきなのか多くの示唆を与えてくれます。前回は時間切れとなり尾花沢から帰京致しました...
2025年7月26日読了時間: 6分


お伊勢参り ~JUL,2025~
日本史が好きだと言いながら、伊勢神宮にきちんと詣でた事が無い事にどこか引け目を感じて居りました。大きな神社は過去沢山訪れてきましたが、別格の風格とパワーを感じる一方、古代史の深い謎の森の中に足を踏み入れたような気がします。英虞湾の宿を拠点に回りましたが、松阪牛・伊勢海老・伊勢うどんには大変活力を頂きました。伊勢志摩とよく一括りで呼ばれますが風光明媚な景色と美食に溺れつつ、恐れ多くも天照大御神がこちらに落ち着かれた神意につきよく理解できたような気がします。 神域に入る前に松阪で高速を降り、国学の四大人と呼ばれる本居宣長に挨拶をさせて頂きました。松阪城内には明治期に移された旧宅と資料館があります。NHK大河ドラマ『べらぼう』の蔦谷重三郎は同じ時代に生きており、彼は宣長の本を取り扱わせてもらえる様松阪に相談に来ていました。ドラマのストーリーはそろそろ田沼の失脚と、白河へ追いやられた松平定信の老中就任、即ち「寛政の改革」へと進むと思いますが、蔦重の「耕書堂」がどう業容転換をしていくのか森下さんの脚本は楽しみですね。さて本居宣長は出演するのか、その場合誰
2025年7月12日読了時間: 5分


古代を駆け巡る 吉野ヶ里と佐賀 ~ JUL,2025 ~
梅雨空を心配しつつ佐賀へのチケットや宿の手配をしてましたが、いつの間にか空梅雨は明けて杞憂に終わりました。連日38度超の炎天下、吉野ヶ里遺跡を皮切りに佐賀平野を彷徨いましたがここは古代・中世・近代・近世の痕跡が幾重にも重なる日本史オタクには垂涎の地です。夜は夜で佐賀牛と呼子...
2025年7月5日読了時間: 6分


生き延びた房総平氏 相馬 ~ JUN,2025 ~
原町(現南相馬市)にある相馬太田神社は、相馬重胤が鎌倉末期、守谷城(現茨城県守谷市)から一族郎党を引き連れ移住した際に建てられました。現在の福島県相馬地域は元々源頼朝により奥州討伐の論功で千葉常胤に与えられたもので、常胤の次男で下総国相馬郡を領する相馬師常がこれを引き継ぎま...
2025年6月22日読了時間: 5分


流刑の島 佐渡 ~JUN,2025~
佐渡は855㎢、オアフ島の6割、東京都23区の3割増の面積に、47千人が住んでます。オアフ島には90万人、東京都23区には1千万人が居ますのでかなり人口密度は低いですが、かつて三郡で構成される“国”でした。国衙跡地は未だ特定できていませんが、その一部と思われる遺構が見つかっ...
2025年6月16日読了時間: 6分


遠山氏の故地・恵那 ~ JUN,2025 ~
苗木城は日本一の山城と称され、苗木藩遠山氏1万石余の居城でした。1万石程度の経済力で城を維持する事は難しいですが、城主は苗木遠山氏、遡れば源頼朝による論功行賞で恵那郡遠山庄の地頭に赴任した名門の末裔であり、父祖から受け継いだ城を後世に伝えました。鎌倉幕府により全国に派遣され...
2025年6月7日読了時間: 5分


阿波の足利将軍 ~ MAY,2025 ~
親族の結婚式に呼ばれ徳島に初めて来ました。阿波の国は歴史おたくの人間にとっては垂涎の地ですが、会社員時代には残念ながら出張機会は有りませんでした。ロープウェイで眉山に登り、淡路島方向を眺めると徳島城を擁する小ぶりな山と大河「吉野川」が横たわります。四国に何故こんな大きな川が...
2025年5月19日読了時間: 4分


近江八幡の三名城 ~ MAY,2025 ~
豊臣秀次が築城した八幡山城からは琵琶湖東岸方向に観音寺城と安土城が見えます。直線で安土城まで5~6km、観音寺城まで7~8kmの距離でまさに指呼の間に在ります。お城ファンにとっては天下の名城を効率よく回れるだけではなく、古代・中世・近世の時間の流れをいきいきと感じられる町で...
2025年5月10日読了時間: 4分


仙道筋の要衝 二本松 ~ APR,2025 ~
二本松は酒飲みにとっては「奥の松」と「大七」の町で、伊達政宗と畠山氏の攻防を大河ドラマ『独眼竜政宗』で観て心躍らせた方は多いと思います。又、江戸期には丹羽氏が二本松藩10万7千石を治め、城下町を整備しました。二本松城は会津若松城と共に福島県で二つだけ日本百名城に指定されてますが、奥州街道の拠点に相応しい威容を誇ると共に本丸までの登城路は綺麗に整備され、二本松市民の深い愛着を感じます。これまで様々な城を訪れてきましたが、本丸から見える磐梯・安達太良の山々の姿は絶景で格別でした。高村智恵子の実家は二本松にありましたが、お陰様で『智恵子抄』で詠われた“ほんとうの空”を真見ゆる事ができました。 10年程前に松尾芭蕉の足跡を辿った際に二本松城に立ち寄りましたが、当時震災の影響で本丸付近の石垣が崩れていた為、本丸まで登る事が叶いませんでした。今回補強箇所も含め、慶長期に蒲生氏郷が積んだ石垣を確認できました。元々は土盛りの城でしたが秀吉の奥州仕置の後会津92万石を領有した蒲生氏は、近江から連れてきた穴太衆に石垣を積ませました。 伊達政宗は天正十二年(158
2025年4月26日読了時間: 5分


飛騨高山 ~APR,2025~
昨年は古川の宿を取り桜を楽しみましたが既に散り始めていた事もあり、今年はやや早く高山で宿を取りました。今回は飛騨三大桜と称される『西光寺の枝垂桜』『荘川桜』『飛騨一宮の臥龍桜』を拝むべく気合を入れてました。平湯峠(標高千四百メートル)を越える際に小雪が舞う程寒かったので嫌な...
2025年4月19日読了時間: 5分


入間の桜 ~APR,2025~
入間市にあるゴルフクラブのメンバーになっており同市にはよく通ってますが、どういう地域なのかよく知らない事から花見かたがた散策してきました。桜は散り始めてますが、桜吹雪に当たりながらの散歩も気持ちいいですね。ビール片手にといきたいところですが、車で動いてますのでカフェラテ片手...
2025年4月11日読了時間: 4分


高天神を制するものは遠州を制す ~ MAR,2025 東遠の城めぐり~
御多分に漏れず、私も3年程前から百名城、続百名城のスタンプを集めてます。スタンプを押せる場所では、嬉々としてスタンプ帳を拡げるおじさんの姿をよく見かけますが(自分を含め)、立地は全都道府県に跨ってますので暇とお金が無いとなかなか捗らない贅沢な趣味です。中には中世から残る山城...
2025年3月27日読了時間: 4分


修禅寺のカンザクラ ~MAR,2025~
今更ではありますが、町の名前が修善寺であり、お寺の名前は修禅寺になります。元々空海が建てた真言宗寺院だったものが、鎌倉時代に臨済宗に改宗され禅を入れたという説もあるようで定かではありません。この町で源頼朝の弟(範頼)と次男(頼家)は幽閉され殺されました。 範頼は平家滅亡の凱旋後、現在の埼玉県比企郡吉見町に領地をもらい館を構えました。建久四年(1193年)頼朝の不興を買い、修禅寺の塔頭である信功院に幽閉され梶原景時に襲われました。壇ノ浦の戦い(1185)で平家が滅亡し源氏の天下が定まった一方で、頼朝をサポートした三兄弟はそれそれぞれ義経(1189)、範頼(1193)、全成(1203)と追討乃至は処刑という形で命を落としました。 範頼には頼朝の乳母である比企尼の孫娘が嫁いでおり二子いました。比企尼は子供達の助命を懇願し、結局出家する事で赦されましたが、そのうち範円の子が吉見氏を名乗りその後御家人として存続しました。 戦国時代ファンならば聞いた事が有ると思いますが、石見国津和野を拠点とした吉見氏はこの庶流であり、大内氏・尼子氏・毛利氏の強豪に挟まれ
2025年3月21日読了時間: 3分


河津の大伽藍『那蘭陀寺』 ~MAR,2025~
河津桜を観るつもりで伊豆の宿を取りましたが、全くタイミングがずれていたようで河津川沿いの桜は略散っていました。出鼻を挫かれ何処に行こうか車を走らせた矢先に、仏像展示館を示す標識が有り、「伊豆ならんだの里 河津平安の里仏像展示館」に導かれました。奈良時代から始まる大伽藍のお寺...
2025年3月20日読了時間: 3分


館林 ~ Mar.2025 ~
館林は12世紀初頭、藤原秀郷の末裔(佐貫氏)が佐貫荘として立荘したのが由来ですが、室町期には赤井氏が領主となり現在の館林城の原型が造られました。戦国時代には上杉・後北条氏の激戦エリアに在りましたが、秀吉の小田原平定の後、家康の関東入部により徳川四天王の一人榊原康政が同城に入...
2025年3月13日読了時間: 3分
bottom of page