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歴史と旅の記録


石高詐称の三様 ~ 松倉勝家、真田信利、大沢基寿
中世下野を領した宇都宮氏は『光る君へ』で悪役を演じる藤原道兼の末裔とも言われており、前九年の役に源頼義に随い以後土着しました。戦国期の宇都宮国綱はじりじりと勢力を削がれる中、豊臣秀吉への臣従に活路を見出し奥州仕置の後下野18万石を安堵されました。ところが秀吉晩年の慶長2年(...
2024年3月7日読了時間: 3分


頼朝ともう一つの一条家
保元の乱(1156)から承久の乱(1221)の65年間で、院政→平家→源氏→北条氏と目まぐるしく政権交代が起こりましたが、頼朝のお陰で時代の一翼を担った“摂関家でない”一条家が有りました。中御門流は、道長と明子(源高明娘)の間に出来た頼宗から始まる庶流でしたが、3代を経て受...
2024年2月26日読了時間: 3分


天文考古学~安倍晴明と藤原定家
現在放映されている『光る君へ』では安倍晴明をユースケ・サンタマリアが演じてます。かなり怪しげな容貌と役柄ですが、彼は陰陽寮という役所の官僚でした。邸宅は現晴明神社から近い土御門大路沿いに有った様でそこから20分程歩いて役所に通っていました。陰陽寮は4つの機能(陰陽道・天文・...
2024年2月23日読了時間: 4分


天然痘が変えた歴史~藤原四兄弟と実仁親王
日本で種痘の普及が始まったのは嘉永二年(1849年)、出島の蘭医モーニッケの接種が最初だそうでその後急速に普及しました。開明的な雄藩や、大坂の適塾がリードしましたが幕府もこれを公認し官立で種痘を始めました。佐賀藩鍋島直正侯は領民に積極的にこの摂取させる為に、先ずはわが子に接...
2024年2月19日読了時間: 4分


熊谷の旧跡をゆく~幡羅郡衙跡と宮塚古墳 FEB,2024
かつて武蔵国幡羅(はたら)郡と呼ばれていた郡域は、現在深谷市と熊谷市から構成されています。それにしても日本は情緒ある地名をこれまでかなり捨ててきました。私は明治維新の功罪のうち、罪の最たるものは廃仏棄釈と廃藩置県や市制施行に伴う、旧国・郡名等古い地名の喪失だと思います。近年...
2024年2月15日読了時間: 3分


子だくさんの将軍と摂家当主~徳川家斉、二条治孝
徳川家斉公が子だくさんだったというのは有名な話なので知っている方は多いと思いますが、略同世代だった二条治孝も多いと知り、どっちが凄かったのか調べてみました。けして知識や教養を高めるものではございません。 11代将軍家斉(1773~1841)は将軍家に養子に入る際、実父(一橋...
2024年2月12日読了時間: 3分


醍醐家の親子の死と一つの日本近代史
終戦時の帝国海軍第六艦隊司令長官は、醍醐忠重侯爵でした。第六艦隊は主に潜水艦で構成されており、戦況が悪化する中1944年11月以降人間魚雷『回天』を投入し、終戦まで作戦行動を継続しました。同提督は45年5月に艦隊司令長官となり終戦を迎えたわけですが、既に稼働可能な潜水艦は9...
2024年2月8日読了時間: 3分


熱海散策、駆け落ちのケーススタディ ~ 2023,DEC
源頼朝と北条政子が逢引きした伊豆山神社は訪れた事が無かったので、熱海の温泉宿に行った際にお詣りさせて頂きました。地図を眺めると、北条氏館と頼朝が幽閉されていた蛭ヶ島の距離は1.5-6kmでたいした距離ではありませんが、この辺りから伊豆山神社は山越えで直線でも15-6kmあり...
2024年2月5日読了時間: 3分


武士に転職した関白の息子 ~ 斎藤正義と鷹司信平
司馬遼太郎の小説を初めて読んだのは小学生の頃、父親が持っていた『国盗り物語』で、斎藤道三、織田信長の出世ストーリーと共に官能的な描写にしばし魅了されました。調べてみると、63年から66年にかけてサンデー毎日で連載されていたとのことで、成程朝刊での連載ではここまでの描写は難し...
2024年2月2日読了時間: 3分


跡取りの確保と両統迭立
国王であろうと将軍だろうとオーナー社長だろうと、自分の跡取りは子供から選びたいと思うのは人情です。皇統も例外ではなく、先ずは兄弟か直系子孫が後継者対象となりますが継承順位が定義されていない中では恣意的・政治的な選定プロセスとなります。武家政権では、例えば徳川家は過去の失敗例...
2024年1月31日読了時間: 4分


殺しあう公家の三様 ~ 清原致信、綾小路有時、唐橋在数
NHK大河ドラマ『光る君へ』では藤原兼家の次男道兼がまひろ(紫式部)の母ちやはを殺してしまい、衝撃的な展開で呆然としてしまいましたが、同時に違和感を覚えました。人の死に対する穢れの意識が強く、怨霊を恐れた平安時代で、上級貴族の子弟が自ら手をかけて人を殺した上に返り血を浴びた...
2024年1月25日読了時間: 5分


久能山東照宮と駿府城 JAN.2024
暖冬とはいえ、やはり冬は寒いです。晴れた日に思い立ってさっといける場所は既に関東平野は略行き尽くしてますが、静岡はまだ未経験の土地が多いです。片道200km程度あり東京起点だとこの辺りが日帰りで行ける限界だと思います。昨年の大河ドラマは『どうする家康』でしたので、徳川家康由...
2024年1月21日読了時間: 4分


高島藩に配流され生涯を終える ~松平忠輝、吉良義周、水野忠篤
諏訪の浮城と呼ばれた高島城は美濃出身の武将、日根野高吉が北条征伐の手柄で領地をもらい築城しましたが、関ケ原の戦いの後、中世を通じてこの地を支配した諏訪家が戻ってきました。残念ながら諏訪湖の干拓で湖畔は遠くなり、水城の面影は無いですが、続日本100名城の一つとして城好きは立ち...
2024年1月17日読了時間: 3分


親子で同じ女性を妻にする話 ~ 対御方(たいのおんかた)と歌人伊勢
平安時代の貴人の親子関係を見ていると近親婚が散見され、異母兄弟姉妹の間ならばそれもありだったんだろうぐらいの感覚を持たざるをえませんが、親子で同じ女性を妻にするとなると流石に違和感を覚えます。妻問婚ゆえ倫理的なハードルも低く、余り大きな問題では無かったのかもしれませんが、和...
2024年1月16日読了時間: 3分


石高と人口で見える江戸期の日本
一人の人間が一年間で食べる米は一石として計算するのがいいと言われてますが、小生が愛読する『旧国名でみる日本地図帳』(平凡社)で見ると、天保年間で人口は約28百万人、石高で30百万国強とのことで、1.1石/人ぐらいで試算できます。石高は郷帳という、幕府が定期的に全国の村ごとの...
2024年1月14日読了時間: 3分


公家と武家との親戚付き合い~近衛家と島津氏、津軽氏
日本の中世と近世は、ある側面からは公家と武家の二重政権とも言えますが、例え実態は武家政権にあったにせよ、この二重構造は持ちつ持たれつで明治維新まで続きました。朝廷がその実質的な統治機能を失ったタイミングを仮に承久の乱(1221年)とすれば、明治維新(1868年)まで650年...
2024年1月12日読了時間: 3分
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