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歴史と旅の記録


江北を彷徨う ~ 彦主人王(ひこうしのおう)御陵 APR,2024
名神高速を西に走らせると途中下車したくなる旧跡が数多く現れます。関ケ原を越えて近江に入ると米原で分岐し、南に下ると豊饒な近江平野が拡がり神社・城郭・仏閣が目白押しであり、北に北陸道を進むと彦根城を皮切りに小谷城、姉川・賤ケ岳古戦場が並んでます。ぽつんと浮かぶ竹生島を拝みなが...
2024年5月3日読了時間: 4分


武相荘と柳澤荘 APR.2024
近いけれどなかなか行く機会が無い穴場は数多く有りますが、戦後日本の復興を担った偉人のお二人のお住まいをお邪魔しました。 武相荘は白洲次郎・正子ご夫妻の旧宅ですが、太平洋戦争前夜の昭和十五年(1940)に現在の町田市能ヶ谷で農家を購入し、亡くなられるまで居住されました。...
2024年4月26日読了時間: 4分


春の飛騨路(江馬氏館他) APR,2024
東京から金沢に帰るルートは、高速が繋がってしまった今は長野道で妙高を越えて北陸に入るのが一番早いですが、地図で見ると一目瞭然で大変な迂回ルートです。かつては松本から平湯峠を越えて41号線を北上し富山を目指しました。近年出来た東海北陸自動車道に加えて、将来東西に中部地方を横断...
2024年4月22日読了時間: 3分


上野三碑~ユネスコ世界の記憶 APR,2024
日本には古代の石碑が18基しかないそうですが、そのうち3基(多胡碑・山上碑・金井沢碑)が高崎市の狭い地域に存在しており七年前(2017)にユネスコの『世界の記憶』に登録されました。近辺には四世紀から七世紀の古墳が多くあり、北関東の古代史を探る重要なエリアの一つです。三碑と一...
2024年4月7日読了時間: 4分


小栗上野介忠順詣で MAR,2024
興国寺城主天野康景の稿で取り上げましたが、群馬県高崎市に在る小栗上野介故地を訪ねました。小栗家は家康祖父(広忠)の代から松平家に仕えた譜代の臣であり、子孫は幾つか旗本の家や越前松平家の家臣として明治維新まで存続しました。忠順はその中でも宗家である又一小栗家の出身であり、幕末...
2024年4月3日読了時間: 3分


諏訪~2024年3月
諏訪にはいい温泉があり、酒も美味しく、実家を車で往復する際によく中継地点で泊まってきました。この辺りは中央構造帯とフォッサマグナの交差点にあり、諏訪大社があり、武田氏の興亡これあり、地学・歴史マニアにとっては垂涎の地です。...
2024年3月24日読了時間: 4分


石高詐称の三様 ~ 松倉勝家、真田信利、大沢基寿
中世下野を領した宇都宮氏は『光る君へ』で悪役を演じる藤原道兼の末裔とも言われており、前九年の役に源頼義に随い以後土着しました。戦国期の宇都宮国綱はじりじりと勢力を削がれる中、豊臣秀吉への臣従に活路を見出し奥州仕置の後下野18万石を安堵されました。ところが秀吉晩年の慶長2年(...
2024年3月7日読了時間: 3分


頼朝ともう一つの一条家
保元の乱(1156)から承久の乱(1221)の65年間で、院政→平家→源氏→北条氏と目まぐるしく政権交代が起こりましたが、頼朝のお陰で時代の一翼を担った“摂関家でない”一条家が有りました。中御門流は、道長と明子(源高明娘)の間に出来た頼宗から始まる庶流でしたが、3代を経て受...
2024年2月26日読了時間: 3分


天文考古学~安倍晴明と藤原定家
現在放映されている『光る君へ』では安倍晴明をユースケ・サンタマリアが演じてます。かなり怪しげな容貌と役柄ですが、彼は陰陽寮という役所の官僚でした。邸宅は現晴明神社から近い土御門大路沿いに有った様でそこから20分程歩いて役所に通っていました。陰陽寮は4つの機能(陰陽道・天文・...
2024年2月23日読了時間: 4分


天然痘が変えた歴史~藤原四兄弟と実仁親王
日本で種痘の普及が始まったのは嘉永二年(1849年)、出島の蘭医モーニッケの接種が最初だそうでその後急速に普及しました。開明的な雄藩や、大坂の適塾がリードしましたが幕府もこれを公認し官立で種痘を始めました。佐賀藩鍋島直正侯は領民に積極的にこの摂取させる為に、先ずはわが子に接...
2024年2月19日読了時間: 4分


熊谷の旧跡をゆく~幡羅郡衙跡と宮塚古墳 FEB,2024
かつて武蔵国幡羅(はたら)郡と呼ばれていた郡域は、現在深谷市と熊谷市から構成されています。それにしても日本は情緒ある地名をこれまでかなり捨ててきました。私は明治維新の功罪のうち、罪の最たるものは廃仏棄釈と廃藩置県や市制施行に伴う、旧国・郡名等古い地名の喪失だと思います。近年...
2024年2月15日読了時間: 3分


子だくさんの将軍と摂家当主~徳川家斉、二条治孝
徳川家斉公が子だくさんだったというのは有名な話なので知っている方は多いと思いますが、略同世代だった二条治孝も多いと知り、どっちが凄かったのか調べてみました。けして知識や教養を高めるものではございません。 11代将軍家斉(1773~1841)は将軍家に養子に入る際、実父(一橋...
2024年2月12日読了時間: 3分


醍醐家の親子の死と一つの日本近代史
終戦時の帝国海軍第六艦隊司令長官は、醍醐忠重侯爵でした。第六艦隊は主に潜水艦で構成されており、戦況が悪化する中1944年11月以降人間魚雷『回天』を投入し、終戦まで作戦行動を継続しました。同提督は45年5月に艦隊司令長官となり終戦を迎えたわけですが、既に稼働可能な潜水艦は9...
2024年2月8日読了時間: 3分


熱海散策、駆け落ちのケーススタディ ~ 2023,DEC
源頼朝と北条政子が逢引きした伊豆山神社は訪れた事が無かったので、熱海の温泉宿に行った際にお詣りさせて頂きました。地図を眺めると、北条氏館と頼朝が幽閉されていた蛭ヶ島の距離は1.5-6kmでたいした距離ではありませんが、この辺りから伊豆山神社は山越えで直線でも15-6kmあり...
2024年2月5日読了時間: 3分


武士に転職した関白の息子 ~ 斎藤正義と鷹司信平
司馬遼太郎の小説を初めて読んだのは小学生の頃、父親が持っていた『国盗り物語』で、斎藤道三、織田信長の出世ストーリーと共に官能的な描写にしばし魅了されました。調べてみると、63年から66年にかけてサンデー毎日で連載されていたとのことで、成程朝刊での連載ではここまでの描写は難し...
2024年2月2日読了時間: 3分


跡取りの確保と両統迭立
国王であろうと将軍だろうとオーナー社長だろうと、自分の跡取りは子供から選びたいと思うのは人情です。皇統も例外ではなく、先ずは兄弟か直系子孫が後継者対象となりますが継承順位が定義されていない中では恣意的・政治的な選定プロセスとなります。武家政権では、例えば徳川家は過去の失敗例...
2024年1月31日読了時間: 4分
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